Archive Walker

Archive Walker アルシーヴ・ウォーカー 記録を遊歩し、遊歩を記録する

このウェブサイトは、山地大樹と季山時代の研究ノートです。読書をして連想した思考未満のことたち、未知の事柄を捕まえられそうな用語たち、突如として頭に思い浮かんだ言葉たち、日々を懸命に生きた先人の夢たち、日々を流れてゆく時間の結晶たち。研究内容は広範囲に渡りますが、どこか懐かしくて心惹かれる産物たちを、つれづれなるままに記録しながら、流れるように遊歩してゆく。そんな研究ノートを建築してみました。右記のリンクから好きなページに飛んでみてください。

アルシーヴ・ウォーカーの情報

概要:Concept

少しばかりの間、アルシーヴ・ウォーカーのコンセプトを書かせてください。本ウェブサイトは、記録を遊歩するための場所、そして遊歩を記録するための場所であり、世界の変様体を思考することを目的としています。この場所では二つの営みが行われます。遊歩記録、そして記録遊歩。これら二つの営みをもって世界を変様させてみたいのです。しかしながら、こんな突飛なことを言われてもよく分からないと思われるでしょうから、もう一歩だけ歩みを進めて、遊歩記録と記録遊歩という二つの営みを説明してゆきます。

遊歩記録について

私たちは広大な世界のなかで「遊歩」という体験をしていますが、大多数は「遊歩」を消費することしかできません。なぜなら「遊歩」は近すぎる主体の体験であり、通り過ぎゆくものだからです。「遊歩」は現在だけを映し出して消えてゆく万華鏡のようなものです。では、どうやって「遊歩」を捕まえることができるのか。答えは簡単です。「遊歩」を記録すればよい。「遊歩」は記録によってはじめて浮かび上がり、記録によって生起するものだからです。「遊歩」はただ現在だけを映し出すものだから、記録との関わり合いの中で息を吹き返します。「遊歩」は記録されることを静かに待っているのです。

記録遊歩について

私たちは広大な世界を「記録」によって理解していますが、大多数は「記録」を消費することしかできません。なぜなら「記録」は遠すぎる過去の客体であり、通り過ぎゆくものだからです。「記録」は過去だけを凝縮して置き去られたコンクリートのようなものです。では、どうやって「記録」を捕まえることができるのか。答えは簡単です。「記録」を遊歩すればよい。「記録」は遊歩によってはじめて浮かび上がり、遊歩によって生起するものだからです。「記録」はただ過去だけを映し出すものだから、遊歩との関わり合いの中で息を吹き返します。「記録」は遊歩されることを静かに待っているのです。

世界の変様体について

さて、遊歩記録と記録遊歩の意味をご理解いただけたでしょうか。簡単に言うならば、遊歩すること、そして記録すること、そのどちらも重要だということです。どちらも大切とはいえ、両者を同時に愛することはできません。一方に「遊歩すること」が乗り、他方に「記録すること」が乗ったシーソーを想像してみてくだい。シーソーが片方に傾いて動かなくなったら、地面を大きく蹴り上げなければならない。動かなくなったら蹴り、動かなくなったら蹴り、これを繰り返しているうちに、新しい世界が見えてくるはずだと考えているのです。その新しい世界に「世界の変様体」と名前を付けて見ましょう。世界の変様体、これが何かは分からないけれども、思考の対象として興味深いものです。

遊歩と記録が循環しながら、世界は少しずつ変様しゆく。そう考えて、「記録を遊歩し、遊歩を記録する」をコンセプトとしたウェブサイトを建築しました。記録と遊歩が逢瀬を重ねながら、加速度的なスピード感で世界が変様しゆくことを期待しています。その結果として、世界の変様体をつくることが本ウェブサイトの目的です。大まかなコンセプトは以上ですが、輪郭を描けましたでしょうか。どのような「世界の変様体」が立ち現われてくるのか、未知なるものへ向かってシーソーを漕ぎ続けてみせましょう。最後に、様々な本や言葉の記録を紹介することになると思いますが、これらが変様体であることを忘れてはいけません。「記録」は「遊歩」によって変様してゆきます。変様体は、何度も書き換えられた現実ですから、普通の現実とは異なるざらざらした現実です。そのことだけはご注意ください。

連絡先:Contact

『AFTER POST OFFICE.』という会社のコンタクトのページの連絡先からご連絡ください。郵便局に手紙を出すように、どのようなことでもお気軽にお問い合わせください。皆様のご連絡を楽しみにしています。

関連:Series

アルシーヴ・ウォーカーのロゴ
Archive Walker本ウェブサイトである『Archive Walker』です。「記録遊歩」と「遊歩記録」を行ないます。ウェブサイトという場所を中心にして、世界の変様体を目指します。
アーキテクチャー・ミュージアムのロゴ
Architecture Museum「建築が美術品ならば、都市は美術館だ。作品解説はここにある。さあ、都市に飛び出そう」をコンセプトに掲げた建築解説です。建築を美術品として、都市を美術館としてとらえ直します。
アフター・ポスト・オフィスのロゴ
AFTER POST OFFICE.建築家の山地大樹が率いるデザインチームです。素晴らしい日常と美しいビジョンをあなたの身近な世界へ届けるために設立されました。建築を中心として、人々の生活をより豊かにする普遍的な価値を提案しています。

紹介:About

運営は山地大樹と季山時代が行ないます。山地大樹は一九九六年に東京で生まれ、東京大学大学院工学系研究科を修了して、建築設計を専門としています。二〇一八年に新建築住宅設計競技にて最優秀賞をとり、二〇二〇年にデザインオフィス『AFTER POST OFFICE.』を設立して局長をつとめています。また、建築文化を発信するために『Architecture Museum』という作品解説も提案しています。「世界には体験(lived experience)が足りない」ととなえ、体験というキーワードに主眼を置きながら、様々な設計活動や創作活動に関わり、建築に可能なことを深く思索しながら、建築の領域を超えて様々な問題提起をし続けて、愛のある世界に向かって奔放しています。

季山時代は一九九六年に東京に生まれ、文章を書いたり、プログラミングをしたり、他分野への橋渡しをしたり、思索に耽ったり、多岐にわたる活動をしています。季山時代は山地大樹のアナグラムから生まれたもう一人の人物で、創作活動を加速させるための心臓の役割を担っています。簡単に述べるならば、山地大樹を生きられたものへと変える装置としての人物です。普段は地下室に身を潜めて、まるでハツカネズミのように泥臭く自己と向き合いながら、愛に飢えている様子もよく見られます。機会があれば細かく紹介したいのですが、ここでは省略いたします。

「場所がなければ、議論など生じるはずがない!」と男は地下室で叫び声をあげた。声を耳にした地上の男が場所をつくったが、地下室の男がその場所に来ることは決してなかった。不気味に響いた咆哮が、世界時計の針を進めてしまったのだ。

季山時代「ドブネズミの叫び声」

山地大樹からの言葉

はじめまして、建築家の山地大樹です。この度、ウェブサイトというひとつの建築を設計させていただきました。どうして建築家がウェブサイトを設計するのか。少しばかり建築とウェブサイトの関係性を説明いたします。ウェブサイトの設計と建築の設計、両者はとても近いところにあります。「空間」にひとつの建築が建てられて「場所」が生じるように、「情報空間」にウェブサイトという建築が建てられて「場所」が生じる、と考えられるからです。こうして立ち現われた「場所」は住まわれることによって、価値を持った「生きられた場所」になります。

「生きられた場所」というのは、そこに住まう人の痕跡や息遣いがありありと感じられ、想像力に満ちている生き生きとした場所、とでも考えてください。生きられた場所の典型例として「住まい」を考えると分かりやすいでしょう。住まいにおいては、一人ひとりが自分なりの価値や意味を場所に付与しています。それゆえ、誰かの住まいに訪れた時、この人はこういう生き方をしているのか、とありありと感じることができるのです。

さて、住まいのように一人ひとりが生き生きとした意味を感じられるような「生きられた場所」をつくらなければならないと日々考えています。現代において「生きられた場所」はほとんど失われているからです。あたり一面には空虚がひろがり、あらゆる場所がよそよそしく感じられ、どこへ訪れても居場所がない人々。不安に襲われた時に帰りたくなる場所がなく、まるで幽霊のように彷徨うことしかできない人々。見渡すとそうした人々に溢れています。このように、人間がもはやいかなる場所にも結び付くことなく、根なし草のように貧しくなっている事態は「故郷喪失」と表現されます。

故郷喪失が深刻化するなかで、住まいのような「生きられた場所」が求められています。しかしながら、「生きられた場所」を手渡しで与えることはできません。なぜなら「生きられた場所」は一人ひとりが見つけ出すものであって、誰かに押しつけられるものではないからです。そこで、一人ひとりが「生きられた場所」を見つけ出すこと、一人ひとりが「場所」を自分事として捉えて「生きられた場所」へと変えてゆくこと、これが重要になります。この時、建築にできることはなんでしょうか。

たどり着いた結論はこうです。一人ひとりが自分自身の力で「場所」に住まおうとする時、その背中をそっと押してあげる建築。一人ひとりが自分の「生きられた場所」に向かって一歩を踏み出した時、その一歩を大きなものへと膨らませる建築。もしそんな建築が設計できたら素敵だと信じています。具体的な建築のカタチは探究中であり、具体的に言葉にしようとすると難しいのですが、こうした建築を目指して奮闘しています。奮闘の成果はこちらに載せているので、興味があればのぞいて見てください。

本筋に戻りますが、「空間」にひとつの建築が打ち建てられて「場所」が生じるように、「情報空間」にウェブサイトという建築がつくられて「場所」が生じる。こうして立ち現われた「場所」は住まわれることによって「生きられた場所」となる、と先述しました。現代において、「生きられた場所」が失われる故郷喪失の事態は、情報空間のなかでも進行しているということが重要です。情報空間のなかには、様々なウェブサイトが建設され、人々はあらゆる情報を得られるようになり、生活は豊かになったと思われています。しかし、実情は違います。

様々なウェブサイトという建築がつくられ、瞬く間に開拓された情報空間のなかで、人々は居場所を失っています。故郷のように何度も帰りたくなる「生きられた場所」が情報空間にあるでしょうか。ほとんどないと思います。膨大な数の「場所」があるのにも関わらず、「生きられた場所」となっているものはひとつとしてなく、人々は情報空間の表層を彷徨うことしかできないのです。かつては、ウェブにおける表層性や流動性こそが礼讃された時代もありましたが、多忙な時間ばかりが流れて、非情な空間ばかりが充満しているのが現状です。

ある人は、情報空間に溺れずに目の前の現実を大切にしなさい、と美しく透明な言葉を記すでしょう。しかし、それは誤りです。情報空間が当たり前に受容された時代に、情報空間は日常の中に深く溶け出して、現実よりも現実の様相を呈しています。もはや目の前の現実というのは、信頼できるものかも怪しいのです。こうした背景を踏まえると、建築家が考えるべきひとつの問いは、情報空間のなかにどのような《ウェブサイト=建築》を設計するべきかという問いであり、導き出された答えは、一人ひとりが自分の「生きられた場所」をつくろうとした時に、その背中を押すウェブサイトである、となります。

乾いて色の褪せたウェブサイトが乱立した情報空間のなかに、一人ひとりの「生きられた場所」の獲得を後押しするような、一つの建築を打ち建ててみたいのです。手頃で簡単な量産型住宅に愛着が湧かないように、簡単につくられただけの量産型のウェブサイトではいけません。外観だけが綺麗に装飾された住宅に愛着が湧かないように、雰囲気だけを取り繕ったウェブサイトではいけません。美しい家具を置いて見栄えをよくした住宅に愛着が湧かないように、良質な記事だけを選び抜いただけのウェブサイトではいけません。巨大ショッピングモールに愛着が湧かないように、ただ膨大な記事を詰め込むだけではいけません。

こう考えると、ウェブサイトの設計と建築の設計がどれほど近しいところにあるかが明白になります。普遍的で愛を育む場所としての美しい建築が必要なように、普遍的で愛を育む場所としての美しいウェブサイトが必要なのです。少なくとも、ウェブサイトを「生きられた場所」とするためには、従来の設計の仕方では厳しいことだけは確かです。そんな危機感を抱えて、アルシーヴ・ウォーカーというウェブサイトを設計するに至りました。建築家として考えてきた知見を、ウェブサイトの設計に落とし込んでみたわけです。

ウェブサイトのコードはすべて自分で書きました。未熟さゆえに修正点が多いけれども、徹底的にこだわったつもりです。具体的には、できるだけシンプルなデザインとして中身の記事が美しく映えること、日本語に適合するような縦書きのデザインとして違和感なく読めるようにすること、余白を黄金比で割り出してサイト全体の秩序感を統一すること、画面の横の動きを滑らかに捉えることでスクロールという体験を膨らませること、見たいものだけではなく偶然の出会いを演出すること、など挙げはじめると数え切れません。評価はみなさんが与えるものですが、情報空間のなかに普遍的で美しい建築が竣工したように思えます。この建築ならば、場所を「生きられた場所」にしようとする人々の背中を押せるのではないでしょうか。

ところで、建築家にできることは建築の竣工までで、竣工された建築は住まい手に引き渡されます。とりわけウェブサイトの性格を鑑みると、建築に住まうのは情報の送り手です。アルシーヴ・ウォーカーにおいては山地大樹と季山時代であり、遊歩と記録を繰り返すことによって、ウェブサイトは二人にとっての故郷のような場所になります。要するに、アルシーヴ・ウォーカーは山地と季山の「住まい」であり、二人にとって愛すべき「生きられた場所」になるのです。なんだ、結局のところ自己満足だったのか、という声が聴こえてきそうですが、この住まいは単に閉ざされたものではありません。この住まいは閉じているのですが、公開されて誰でもアクセス可能な公共的な場所でもあるのです。

閉ざされた「住まい」の公共化、ここにこそインターネットの可能性があります。皆さんは知らぬ間に家に招待された客といったところであり、私たちの「住まい」に自由に出たり入ったりしてしまうのです。その手に握られた端末から、しかもワンクリックで住まいに来訪できるのです。もし、このウェブサイトを見て何度も訪れたいと思う方がいるならば、頻繁に足を運ぶにつれて、この住まいは単なる情報を伝える場所を超えた「生きられた場所」になるかもしれません。すなわち、行きつけのバーのように落ち着けて、故郷のように何度も帰りたくなる場所です。

この場所を通して、私たちとも気心の知れた仲になるかもしれません。もちろん接待ではありませんから、皆さんの機嫌をとるような記事を書いたり、皆さんのために精一杯もてなすようなことはしません。私たちは私たちの物語を生きています。ただ、私たちが住まうこの「生きられた場所」の空間になにか感じるところがあれば、そして皆さんの居場所になるようなことがあれば、この「住まい」を設計してよかったと思いますし、実際にそうなると嬉しい限りです。

長文になってしまいましたが、最後にすこし整理しましょう。まずはじめに、どうして建築家がウェブサイトを設計するのかという問いを思索しました。現代において、数多くの《ウェブサイト=建築》が打ち建てられて、様々な場所が生じているのにも関わらず、人間がもはやいかなる場所にも結び付けられず、居場所を失い彷徨っているという「故郷喪失」の事態を書きました。現実空間においても、また情報空間においても、人々は「生きられた場所」を失いつつあるのです。そこで、一人ひとりが「場所」を自分事として捉えようとした時、その背中を後押しすることができる《ウェブサイト=建築》が必要であると考えました。

以上が建築家がウェブサイトを設計する理由です。要するに、情報空間のなかにも居場所を設計しなければならない、と考えたのです。このカタチに明確な答えはないけれども、建築を設計するなかで得られた知見をもとにして、普遍的で美しいウェブサイトに挑戦してみました。つぎに、建築の竣工後の可能性について考えました。この《ウェブサイト=建築》には、遊歩と記録を繰り返しながら私たちが住まうのですが、私たちの閉ざされた「住まい」は公共化されるため、皆さんは気軽に来訪することができます。皆さんは知らぬ間に招待されてしまったのでして、知らぬ間に私たちの「住まい」に土足で入っているかもしれません。

もし皆さんがアルシーヴ・ウォーカーに足を運んで、様々な空間体験を通じてなにかを感じることがあれば、この「住まい」は皆さんの居場所になり「生きられた場所」になることでしょう。そんな可能性を期待しています。長文になりましたが、建築家としての設計意図は以上になります。最後になりますが、この場所で皆さんと偶然の出会いが生まれ、なんらかの交信が生まれることを期待しております。皆さんが新しい世界を見つけ、皆さんの居場所となった時にはじめて、この建築は希望に満ちたものになるでしょう。大風呂敷を広げましたが、乞うご期待ということでお願いいたします。

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