Archive Walker

兎と狸の変身物語 建築の三条件他

日々の記録

依頼者様へ。お世話になっております。二〇二三年度、九月七日から九月十日までの調査報告になります。ご参考いただければと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

二〇二三年九月七日

雪の夢

剥がれた雪と大地

二〇二三年九月七日。僕は白く広大な雪景色を舞台とする夢を見ていた。夢のなかの雪景色は完璧ではなく、ところどころ雪が剥がれた部分から茶色い大地が顔を覗かせていた。大地の生々しさと汚らわしさに耐えられなくなったのか、夢のなかの僕は、垣間見える大地に雪を被せるべく、必死に雪を運び続けていた。しばらくして目が覚めた僕は、ベットシーツを剥がしたりしながら、なにかを確認し続けていた。多分、現実世界の剥落部分なるものが付き纏って離れないのだろう。僕の書く文章を見ると、広大な雪景色が純粋さとして表現され、雪が剥離した茶色い大地の部分が不純さとして表現されてる。そして、剥離部分に雪をかぶせようとする心意気が美しさの源泉となるのだろう。僕はこう書いていた。

山地大樹

純粋と不純

不純だらけのこの世界で、純粋であることを願う人は、苦しみを背負って生きなくてはならない。不純を肯定するのはいかに楽なことか、純粋を肯定することはいかに楽なことか。不純であることを認めながらも、純粋なものをめざそうとする心意気こそ、人間のもっとも美しい場所に違いない。したがって、美しいものは苦しみを背負って凛と立つ。美しさとは苦しみの御柱である。

季山時代
2023.09.07

二〇二三年九月八日

建築の三条件

建築のコンペティション

二〇二三年九月八日。僕は、コンペに提出する建築の構想を練っていた。このとき、問題となるのは審査員にどう評価されるかであるが、なぜ審査員は評価軸を明示しないのだろうか、と不思議がるのは間違いではないだろう。審査員をするからには、審査員のスタンスの表明が不可欠ではないだろうか。そのスタンスに責任が生じるのではないだろうか。僕は貧乏ゆすりを止めることができないまま、机に向かっていた。僕はこう書いていた。

ウィトルーウィウス建築書

山地大樹

用・強・美

建築はいかに評価されるべきか。古代ローマの建築家であるウィトルウィウスは「用・強・美」の三条件をあげたとされるが、これは現代において適応されるだろうか。用、あるいは快適さという側面は、空調や照明という技術の発明によって自明なものとなった。強、あるいは構造という側面は、構造解析などをあげるまでもなく、自明なものとなった。地震で崩れる建物など論外である。現代において、用と強の側面は建築の条件として挙げるまでもない前提条件となっている。だから、これらを建築の条件などと主張することは、端的に無意味だと言わざるを得ない。残されたのは、美の側面だけである。美の側面とはなにを意味しているのだろうか。いずれにせよ、建築の三条件を再考しなくてはならない。重要だと思われるのは、建築を建築たらしめる条件は、三つではなくてはならないことである。アルベルティにせよ、パッラーディオにせよ、三位一体的な条件を提示することによって、建築の意味が固定化されることが防止されていることを見逃してはならない。歴史を見るならば、建築の条件は三つ必要だということは確からしい。

建築をいかに評価するか

建築をいかに評価するべきだろうかという問いに対して、新しい三つの評価軸を提案してみたい。たとえ仮の条件であっても、評価軸を明言することは建築に関わる人間の責務である。もし条件に不備があれば修正すればよいだけの話であり、評価軸を打ち出さないのは責任から逃げているに見える。さて、私が提案するのは、「愛・美・ロックンロール」の三つの条件である。個人的な印象では、これら三つの条件のうち二つを満たした建築は名建築と呼ばれ、三つの条件をすべて満たした建築は後世に残されるほど、最高の評価を与えられるべきである。だから、こう問わなくてはならない。その建築に愛はあるだろうか、その建築に美はあるだろうか、そしてその建築はロックンロールだろうか。これらの三つを常に念頭において設計作業を営むことによって、優れた建築が産出されることが期待される。簡単に素描しておこう。

建築における愛

建築における愛。これは、建築における人間的な側面だと言える。たとえば、ガウディの自然に対する愛、コルビュジエの人間に対する愛、ゲーリーの魚に対する愛、など列挙するならば無限に挙げられる。愛のある建築に訪れると、優しい雰囲気に包まれて、人間味を感じることができる。建築における愛は、建築をつくった建築家が建築を愛しているかに依拠している。曖昧なことは重々承知だが、建築家が愛をもって設計しているならば、確かに建築に愛を感じることができる。

建築における美

建築における美。これは、建築における秩序的な側面だと言える。たとえば、パルテノンのギリシア的な秩序、コルビュジエのモデュロール的な秩序、ミースの数学的な秩序、など列挙するならば無限に挙げられる。美しい建築に訪れると、神秘的な雰囲気に包まれて、秩序を感じることができる。建築における美は、建築をつくった建築家が建築を整えようとするかに依拠している。曖昧なことは重々承知だが、建築家が美をもって設計しているならば、確かに建築に美を感じることができる。

建築におけるロックンロール

建築におけるロックンロール。これは、建築における社会的な側面だと言える。たとえば、磯崎新の反建築的なロックンロール、アーキグラムのユートピア的なロックロール、篠原一男の住宅的なロックンール、など列挙するならば無限に挙げられる。ロックンロールのある建築は、社会に対して批評性をもち、後の世代に参照される。建築におけるロックンロールは、建築をつくった建築家がみずからを位置付けようとする態度に依拠している。曖昧なことは重々承知だが、建築家が態度をもって設計しているならば、確かに建築に態度を感じることができる。

建築における愛・美・ロックンロール

簡単な素描だけにとどめるが、これらの三条件を満たすのは相当に難しい。愛の側面だけ追い求めるならば、単なる趣味になってしまう。美の側面だけ追い求めるならば、味気ないものになってしまう。ロックンロールの側面だけ追い求めるならば、自己満足になってしまう。これらの三条件のうち、少なからず二つは必ず満たすように、そしてもし可能ならば、三つを満たすような建築をつくれれば栄誉である。僕は、こうした評価軸で建築を見ていると宣言しておこう。

季山時代
2023.09.08

二〇二三年九月九日

二丁の拳銃

鳥貴族における庶民

二〇二三年九月九日。僕は友人と居酒屋で今後の予定を立てていたが、財布のなかに所持金がほとんどなかっため、自分用にハイボールを一杯だけ頼んで、ちびちびと飲んでいた。僕と対照的な裕福な友人は、口のなかへ次々と酒を運び続けるから、僕はベルトコンベアの横に佇む作業員になった気がしていた。僕は豪快に笑うこの友人が好きなのだが、所持金の差異によって友人に気を使わせてしまったことが悲しかったようだった。この事態がいかに文章に落としこまれているのかは分からないが、多分、僕が書いた文章はこの事態を表現していると思うから、解明が急がれる。僕はこう書いていた。

山地大樹

二丁の拳銃

拳銃を二丁ください、僕とあなたのため。
一緒に引き金を引いたなら、銃声は一度だけ響きわたる。
愛の銃声は世界を震わせ、恐怖と混沌が押し寄せる。
心の底に沈む船、許されることない貝の唄。
拳銃を二丁ください、夢と現実のため。
一緒に引き金を引いたなら、銃声は一度だけ響きわたる。
現実と夢は終止符を打たれ、世界は底に沈む鳥。
海底と砂漠が手を結び、真っ赤な雪が降り注ぐ。

季山時代
2023.09.09

二〇二三年九月十日

兎と狸の変身物語

太宰治のカチカチ山の衝撃

二〇二三年九月十日。僕は太宰治の『カチカチ山』を読んで衝撃を受けていた。なるほど、かちかち山の兎は十六歳の処女であることは間違いない。しかしながら、惚れたが惡いかという結論はいかがなものだろう、違う道筋もあるのではないか。こうしたことを僕は考えたのか、兎と狸を題材に何かを書くことを決意したようだ。僕が書いている文章に出てくる兎は、十六歳の処女で間違いないだろう。また、この文章には、いくつもの小説が参照されていると思われる。キャロルの『不思議の国のアリス』、カフカの『変身』、川端康成『眠り姫』などは明らかに参照先として挙げられるだろう。また、当日の僕は日本のシュルレアリスムについて調べていた。とりわけ、三岸好太郎の『海と射光』と古賀春江『白い貝殻』が印象的だったらしく、手帳に題名をメモしていたことを考えると、二本の白い脚が古賀春江『白い貝殻』の影響だということが見えてくる。僕はこう書いていた。

お伽草紙

山地大樹

兎が着いてくる夢

ある昼下がりの夢。小川が流れる山道を歩いていると、水色の洋服を着た兎が後ろを着いてきた。兎の毛の色は優しい桃色を基本としているが、首からうえの毛だけ白色だから、一見すると白兎が服を着ているように見えないこともない。僕が後ろを振り向くと、兎は歩くのをやめてこちらを見つめてくる。ぴんと立った耳からは緊張が、じっと潤んだ目からは敬愛が、ぴくりと震える鼻からは若干の警戒が、微かに感じられる。せっかくだから、話しかけてみることにした。

可愛らしい兎さん、何をしているの、せっかくだから隣にきて一緒に歩こうよ。

兎はこちらをじっと見つめたまま微動だにしない。息を吸って吐くリズムに合わせて、肩が小さく上下に震える様子が愛おしい。兎は返事をしないから、返事をもらうのは諦めて、前を向いて歩き出すことにしたのだが、兎が後ろを着いてくる気配が消えることはない。しばらくして、あらためて振り返って話しかけてみるのだが、兎が返事をすることはない。この兎はいつから後ろに現れて、どこまで着いてくるのだろうか。小川に沿って野を超え山を越え、それでも兎は着いてくるから、最初の愛おしさとは裏腹、次第に不気味に感じてきた。そろそろ夕陽が沈むから、休む場所を探さなくてはならないというのに。

兎と二人きりの山小屋

薄暗い森のなか、小さな山小屋の明かりが見えたから、今夜は山小屋に泊めてもらおうと考えて、明かりに向かって歩みを進めた。相変わらず、兎は一定の距離を保ちながら着いてきていた。いつの間にか、兎の手なかには小さな懐中時計が握られていたのだが、兎が懐中時計を持っていることは取り立てて気になることではなかった。山小屋に到着すると、山小屋の扉を叩きながら御免くださいと叫んだが、誰一人として出迎えることもないから、勝手に扉を開けて足を踏み入れた。明かりの灯った小屋の内部は、さっきまで誰かがいた気配があり、中央に小さな囲炉裏には火がくべられたままであった。外の冷えた風が入ってくるから、扉を閉めようとするならば、兎はカーテンのような軽やかな身のこなしで、山小屋のなかに滑りこんできた。小さな山小屋で、無口な兎と二人きりの生活が幕を開けようとしていた。

兎を抱きあげる

山小屋のなかで兎と二人きり。沈黙のなか、お互いの呼吸が響き合い、共鳴するのが感じられた。

可愛らしい兎さん、何をしているの、せっかくだから隣にきて一緒に話そうよ。

兎は一向に返事をしないでこちらを見つめている。ここまで一言も話さないのも不思議だから、この兎は言葉を発することを禁じられているではないかと想像した。一言でも発したならば、残酷な罰を与えられるのかもしれない。それでも兎はじっとこちらを見ている、まるで何かを伝えようとするかのように。不意に、兎を抱きしめなくてはならないという強迫観念が浮かんできた。もし兎を抱きしめたならば、兎にかけられた呪いは解けるに違いない。そこで、兎に警戒されないように優雅な足取りで歩みを進めて、兎を抱きあげることにした。ゆっくりと、兎に向かって近づいてゆく。兎はじっとこちらを見つめたまま、逃げ出す気配もない。徐々に距離は縮まってゆき、両手を広げて兎を優しく抱きあげることができた。繊細な毛の向かうがわに、あたたかい体温が感じられた。兎は抵抗することもなく、嬉しそうに笑っていた。

揺らされた金の懐中時計

抱きあげられた兎は、こちらに身を預けて安心していたが、少しばかりの時間が経過したあと、のそのそと動き出した。とりわけ不自由になった右手が気になるらしく、右手を押したり引いたりしていたから、抱きあげる腕を緩めて右手を自由にしてあげると、兎は自由になった右手をこちらに差し出した。差し出された右手には、一つ金の懐中時計が握られていた。古びた英数字が描かれた時計盤のうえを、不思議な曲線のかたちをした長針と短針が小さく震えているのが、湾曲した表面のガラス越しに見てとれた。表面の透明なガラスには周囲の風景が薄く反射していて、そのガラスの反射の効果によって、部屋が懐中時計のなかに閉じこめられたように感じられた。時刻は十一時十一分にさしかかろうとしていた。長針がゆっくりと歩みを進めて、十一時十一分ちょうどを指した途端、兎は時計を持つ腕をゆっくりと左右に揺らしはじめた。

狸になる呪い

右に左に振り子のように揺れる懐中時計に釘付けになり、しばらくのあいだ目で追い続けていると、懐中時計の周辺が優しい魅惑に包まれてゆくのが感じられた。沈黙のなかに甘い薔薇のような香りが漂いはじめ、小さな眠気に誘われて、ここではない何処かへ向かって自分自身がとろけ出してゆくような感覚に襲われた。身体全体の力が抜けてゆき、意識が途切れそうになりながら、不意に、懐中時計の表面のガラスに茶色い染みのようなものが映っていることに気がついた。振り子のように右に左に懐中時計が揺られる一方、その茶色い染みは動かずに自分を追いかけてくるから、その茶色い染みが表面のガラスに映った自分だと確信するまで、たいした時間はかからなかった。ただし、それは自分の姿ではないことも明らかである。自分とは別様な茶色の自分らしきものが、湾曲したガラスに映りこんでいる。その茶色いものには、目や鼻がある。狸だ! 自分が狸になっている! 驚きのあまり抱きかかえた兎を床に落としてしまう。床に頭を打った兎は気を失って動かなくなった。兎の手のなかの懐中時計も同時に床に落ちて、鈍い音を立てて幾つかの部分に散らばった。

半狸、半人間

狸になる呪いをかけられたようである。狸になってしばらくは、その事実に動揺していたが、次第に呼吸が整ってきた。冷静に全身を確認してみると、右手と左手には茶色い毛皮が覆っていて、首、胸、腹も毛が覆い尽くしているのだが、胴から下は人間のままである。顔には明らかに狸になっていて、匂いに敏感な鼻がすらりと伸びて、音に敏感な耳が普段より上部に取り付けられている。しかるに、懐中時計の反射に驚いて時計から目を離したことによって、完全に狸になることはなく、呪いが途中で中断されたのだろう。それにしても、半狸、あるいは半人間になるとは人生は分からないものである。そういえば、山奥には呪われた異邦人がいるから決して近づいてはならないと、母親が強く忠告していたことを想い出した。忠告を聞くべきだったと後悔しながら、ふと、二本の脚が床に転がっていることに気がつく。白くて綺麗な人間の脚である。

半狸の推論

二本の白い脚を目でたどってゆくと、大腿からうえは水色の洋服で覆われていて、洋服の首からうえには兎の白い頭部が見える。半兎、あるいは半人間が、青い洋服を着たまま、うつ伏せになって気絶している。状況から推測するならば、こう考えるのが妥当だろう。過去に、ある一人の人間の女性が呪いによって兎になった。呪われると言葉を発することのできない動物になるが、呪いは誰か別の人間にうつすことが可能である。そこで、兎は呪いをかけようとしたのだが、その中途で失敗したために、半狸と半兎の二匹が誕生したと。なるほど、もしこの推論が正しいのならば、鍵となるのは懐中時計である。あの懐中時計を揺らすことで、気絶している半兎を兎に戻すことができれば、半狸の状態から人間に戻れるに違いない。そこで床に散らばった懐中時計の断片を拾い集めるが、懐中時計は悲惨な壊れ方をしている。表面のガラスは割れ、長針と短針は折れ曲がり、幾つかの歯車が欠けている。少し試してみるものの、狸の手では修理することもままならず、途方にくれるばかりである。

汚い手と綺麗な脚

懐中時計の修理に途方にくれたから、もう一度床に横たわっている半兎を観察することにした。半兎は、気絶して意識を失っているのだが、決して死んでいるわけではない。なぜなら、纏われた青い洋服が、呼吸に合わせて規則的に上下しているからである。兎の吐息が山小屋のなかに微かに響きわたり、青い洋服からはみ出した白い脚は微かに震えている。白い脚は、雪のような細やかな肌理と、陶器のような繊細な滑らかさを帯びている。その美しさに、思わず手を伸ばして触れようとするが、茶色い毛に覆われた右手に驚いて、思わず手を引っ込める。この獣じみた汚い手で、こんなにも綺麗な脚に触れてよいものだろうか。もし触れたなら、この可憐な白い脚は壊れてしまうのではないだろうか。いや、水は汚ければ汚いほど花は綺麗に咲くとも言うではないか。たとえ汚い獣の手でも、優しく、ただ優しく触れることは許されるに違いない。

脚の愛撫

おそるおそる手を伸ばしてみる。指の先端が白い脚に微かに触れる。うつ伏せになった女性の無防備なふくらはぎには、内側からふっくらと弾力がかけられている。この弾力が、女性の生活をしたたかに支えきたのだろう。ふくらはぎから太腿のほうへと手を這わせると、太腿の向こう側に筋肉があるのを感じる。この筋肉は、女性がいままで日常を歩いてきた生活の厚みだろう。青色の洋服を優しくまくりながら、臀部にかけて手を滑らせると、妊婦の腹のように優しく膨らんでいる。この豊熟した肉の果実は、女性が出産するときのために蓄えられた脂肪に違いない。臀部から恥部にかけて手を這わせてゆくと、次第にあたたかな匂いが強くなってきて、兎の吐息が山小屋のなかに反響しはじめた。半狸と半兎という二匹だけの山小屋のなかに、あらゆる世界が閉じ込められて、山小屋以外の外部が消失したように感じられた。茶色の毛に覆われた右手が恥部の中心に到達したとき、兎はぴくりと腰を震わせた。その一瞬の痙攣には、兎の生命のすべてが内包されいて、その生命の魔力によって、精液がとめどなく溢れ出していた。

兎の顔を観察する

興奮がおさまったあと、淫らにはだけた青色の洋服をもと通りに戻して、囲炉裏の火をぼうっと眺めていた。半兎はまだ意識を取り戻していないが、囲炉裏の火が兎の顔を橙色に染めている。そういえば、兎はどのような顔をしているのだろう。膝を付いて兎の顔をまじまじと覗きこむと、柔らかな白い毛が表面を覆い尽くすなか、少しだけ赤みを帯びた二つ黒の眼球が潤んでいて、一体として結ばれた鼻と口は、顔の表面に魅惑的な亀裂をつくり出していた。ぴんと張り出した耳は、内側だけが柔らかな桃色に染まっていて、貝殻のように美しかった。純粋なまでに真っ白な顔を見ていると、その白い表面に世界のすべての悪が吸いこまれてゆくような気がして、その可憐な兎の顔には、純白という言葉以外は似合わないように思えた。もし純白な兎が目を覚ましたなら、邪悪な狸は白い表面に吸いこまれてしまうだろう。兎が純白すぎるから、醜い狸は存在を保つことなどできないだろう。

呪われるまえの女性の顔を想像する

純白な兎の顔を見ながら、呪いにかけられる前の女性はさぞ美しかったに違いないと想像する。いままで出会った女性の顔が幾つも浮かんだが、その女性たちの顔には微かな汚れがあり、呪いにかけられる以前の女性の純白さには敵わない。この未知なる女性の顔は、想像ではたどり着けないことに気がついたから、兎はどんな女性よりも美しいと結論づけて満足することにした。兎は小さく呼吸をし続けていた。兎の呼吸に合わせて呼吸をしてみると、兎の身体と共鳴するように感じられて、汲み尽くせない純粋さを分けてもらえる気がした。いま目の前で呼吸する兎は、きっと、この世界の凡ゆるものより輝く宝物なのだろう。たまらなく愛おしくなり、自然なままに手を伸ばして、兎の頭を優しく撫でると、兎は小さく声を漏らした。声にならない悲しげな声は、琴の音色のように美しく響きわたったのだが、その悲しげな声を聴いた途端、心の内奥が騒ぎはじめるのが感じられた。どくどくと心臓が脈打ちはじめ、びくびくと身体が振動しはじめた。次第に湧き上がるように騒ぎは大きくなってゆく。なんだ、この獣じみた感覚は!

兎を叩く

心臓の脈は次第にはやまり、身体の振動は次第に激しさを増して、みずからの存在を脅かすほどに大きくなりはじめた。呼吸は荒くなり、男根は赤く膨れあがり、死の匂いが充満してきている。圧倒的に美しいものをまえにしたとき、醜いものは存在を保持することができず、みずからを殺戮する方向へと走り出すのかもしれない。死ぬ瞬間、生命はすべての生命力を放出して死ぬと聞いたことがあるが、その現象が起きているに違いない。全身が生気に満ち溢れ、このままだと壊れてしまう! 意識が飛びそうになりながら、なんとか自我を保とうとするが、抵抗もむなしく、内なる獣じみた衝動が溢れ出すばかり。溢れ出した生気に駆られて、衝動のまま、無我夢中に半兎の尻を叩いていることに気が付いたときには、すべてが手遅れだった。青い洋服はびりびりに破られ、この汚い手が、ぱんっ、ぱんっ、と乾いた音が鳴り響かせながら、何度も何度も、綺麗な白い脚の付け根を叩き続けていたのである。美しく輝いていた臀部の白い皮膚は、狸の鋭い爪によってずたずたに切り裂かれ、赤い血が溢れ出していて、その周辺は真っ赤に腫れあがっている。兎は、ぎゃんぎゃんと悲鳴をあげて泣いていたが、次第に動かなくなり、ごろりと床に転がり落ちた。痛みのあまり脱力したのだろう。純白の兎の顔は、床にひろがった血の海に溺れていた。

兎の乳房

半兎が床に転がり落ちると、動悸がおさまり、いつもの冷静さが戻ってくると同時に、後悔の気持ちが襲いかかってきた。なぜこんなことをしてしまったのか、なんてことをしてしまったのか。あの美しかった二本の脚は見る影もなく無残に床に転がっている。兎が生きているかを確認するべく、膝を付いて顔を覗きこむ。純白の顔に生えた繊細な毛が、床に溜まった血を徐々に吸いあげるから、時間が経過が感じられる。しばらくすれば、兎の美しい顔のすべてが真っ赤に染まるだろう。幸い、兎は微かに息をしていた。途切れ途切れの呼吸のなかで、こちらを悲しげに見つめてくる様子は、純白のときそもままに愛おしく感じられたから、兎の可憐さは、純白という色などではなくて、存在がそのものに由来するのだと思った。小さくて弱い存在は愛そのものである。ふと視線を落とすと、半兎が人間の乳房を持っていることを発見する。懐かしい膨らみは、大きすぎず、小さすぎず、綺麗なかたちを保ったまま、赤い血に染まった青い洋服の断片からこぼれ落ちている。腰からうえ兎だったはずだからだから、人間の部分の割合が明らかに増えている。半兎の全身を眺めると、顔だけは兎のままなのだが、それ以外の部分は人間の女性になっている。半兎は人間に近づいている。ということは、兎の呪いがとけはじめている!

兎の美しさのために

慌てて、みずからの身体を確認すると、足首から下を除くすべての部分が狸になっていた。いまにも死んでしまいそうな顔だけ兎の人間と、後悔を抱えて生きる足もとだけ人間の狸。状況から推測するならば、呪いは兎の生命力に比例するに違いない。もし半兎が死ぬならば、彼女は完全に人間の姿に戻るのだろうが、そのとき、自分は完全に狸の姿になるのだろう。そうなれば、狸として生きなくてはならなくなる。狸として生きるのは嫌悪を感じるとはいえ、また誰かに呪いをうつせばよい。なにより嫌なのは、兎の顔が人間に戻るのを見ることである。兎はどんな女性よりも美しいと結論したはずだ。もし目の前の半兎が死んで、兎の顔が人間の顔へと戻ったとき、それが醜い顔だったら生きる意味など失われてしまう。この兎の美しさが失われるくらいならば、世界が滅びたほうがよいではないか。思考を巡らせている、いまこの瞬間でさえ、兎の息は次第に弱まってゆく。首からうえが徐々に人間に戻りはじめている。そうだ、いっその事、兎を殺してしまえばよいではないか!

兎を殺すこと

これは賭けである。兎を殺してしまえば、兎の顔が人間の顔に戻ることを止められるかもしれないが、兎の顔が一瞬にして人間の顔に戻ってしまうかもしれない。とはいえ、呪いの内実など分からないから、実践して見なければ何が起こるか分からない。兎の顔が人間の顔に戻らないことを願いながら、女性の胴体のうえに飛びのって首を締める。兎は苦しそうに顔を歪めるが、狸の手ではうまく体重がのせられない。このままでは殺せない。兎の顔は、顎のあたりまで人間になりつつある。もう時間がない。締め殺すのは諦めて、兎の喉のあたりを鋭い爪でかきむしる。何度も何度も引っ掻くうちに、頸動脈が切れたらしく、噴水のように血が噴き出した。返り血を浴びながら、何度も何度も喉もとを引っ掻き続けているうちに、みずからの手が人間の手になっていることに気がつく。鋭い爪がなくなり、普段どおりの五本の指がある。どうやら、兎の顔をもった女性は死に絶えたと同時に、狸から人間に戻れたようである。

兎の死後と無機質な世界

あたり一面に血の海がひろがるなか、兎の顔をもった人間の女性の死体が、あたたかい体温のままに転がっていた。半兎は死んでいたが、身体の筋肉はまだ生きていたようで、ぴくりぴくりと痙攣していた。兎の美を守るという賭けに勝ったのである。兎の顔は人間の顔に戻らないままで、呪われるまえの人間の顔を見ずに済んだ。しかも賭けの副産物として、狸の呪いは解除された。想像以上に素晴らしい結末である。しかしながら、賭けに勝ったというのに何かが満たされていない。転がった死体に付いている真っ赤な兎の顔は、兎が生きていた頃のような魅力を失っている。あれほど美しかった女性の二本の白い脚は、見るに絶えないほど傷だらけで、触れたいとすら思えなくなっている。あの綺麗なかたちをした柔らかい乳房も、物体としての硬さを手に入れて触り心地が悪そうである。山小屋は、石でつくられた監獄のように感じられて響きを欠いている。世界が無機質になってしまったのである。兎を殺してはじめて、美しさは生きているものに生じるということに気がついた。兎を殺したという罪を背負いながら、人間として生きなければいけない。

季山時代
2023.09.10