希望は傷からはみ出す
希望は傷からはみ出す
地震における傷
二〇二四年一月一日。僕はおせち料理を食べてから、仕事をするべく机に向かっていた。しばらく時間が経って一段落ついたあと、テレビを付けた僕は石川県の地震が報道されているのを知り、その悲惨な状況を茫然と眺めていた。僕が書く文章における傷という言葉は、フロイトの外傷を意識した言葉であり、繁殖という言葉はレヴィナスを意識した言葉なのだろうか。多分、ここにおいて傷というのは女性器の象徴なのだと考えられる。ちなみに、僕はこの文章を書いているとき、ルドンの『ヴィーナスの誕生』のイメージが頭から離れることはなかった。僕はこう書いていた。
山地大樹
傷と希望
石川県で大地震が起きました。
僕は、何もすることもできませんでした。
なんで、こんなにも自分と関係ないところで、
世界がたくさん傷ついてゆくのか分かりませんでした。
もう世界は傷だらけ、
これ以上の傷を負うのを見たくない。
ガザ地区で戦争が起きました。
僕は、何もすることもできませんでした。
なんで、こんなにも自分と関係ないところで、
世界がたくさん傷ついてゆくのか分かりませんでした。
もう世界は傷だらけ、
これ以上の傷を負うのを見たくない。
傷は治るのだろうか。
傷は治る、そう信じたい。
けれども、これ以上の傷が増え続けるならば、
希望は枯渇してしまうかもしれない。
それは怖い。
それは嫌だ。
だから、僕はこんな一枚のイメージを唄いたい。
傷から希望がはみ出してくるイメージである。
どんなに傷が増えようと、
どんな大きな傷だろうと、
希望の光が滲み出す、
母親から赤ん坊が産まれるように。
傷からの希望の繁殖は、決して失われることはない。
季山時代
2024.01.01

