川端康成の『みずうみ』の感想など
川端康成の『みずうみ』の感想など
川端康成の『みずうみ』を読んで
二〇二四年一月十四日。僕は、川端康成の『みずうみ』を読んで感銘を受けていた。恐ろしいほどに冷たいエロティシズムのようなものに驚いていたに違いない。僕が書く文章を見て思い出すのは、『レオナルド・ダヴィンチの手記』に出てくるレオナルドの幼少期の想い出である。「そこでしばらく立っていると、突如、私の心の中に二つの感情が湧きのぼってきた、恐怖と憧憬とが。すさまじい暗い洞窟にたいする恐怖、その奥に何か不思議なものが潜んではいはしまいか見たいものだとおもう憧憬である
」。この文章のイメージが、川端の描いた少女の黒い目と重なりあう。洞窟とみずうみ、両者は重なりあうのだろうか。僕はこう書いていた。
山地大樹
桃井銀平という名前
みずうみという美しい小説を読んだ。書評というほどではない簡単な感想を少しだけ記録しておきたいが、川端康成に関しては勉強不足であることを先に断っておく。この小説には夢のような幻想的な雰囲気が漂っているが、その幻想的な効果を産出しているのは、桃井銀平という主人公の名前である。桃色という鮮やかな世界に対して、みずうみの表面を想わせる銀色が用いられている。銀色をみずうみの表面の反射のようなものだと捉えるならば、桃井銀平という主人公の名前のなかに、桃色の世界を欲望しながら、一切のものを反射する湖面に踏みとどまる自己という印象が与えられている。桃井銀平という名前は、桃色の世界を追いかけることによって自己が消失される地点を表現しているに違いない。「桃井銀平がその少女の後をつけていた。しかし銀平は少女に没入して自己を喪失していたから、一人と数えられるかは疑問である
」(p67)。桃色の世界を追いかけているうちに、みずからの自己は消失してしまうということである。みずうみの表面の氷が割れない限り、桃井銀平の自己の奥底が顔を覗かせることはない。
薄桃色の世界と薄水色の世界
この小説は、桃井銀平という一人のストーカーの物語なのだが、ストーカーの心情がよく現われている場面がある。その場面とは、久子に会いにゆくタクシーのなかの描写であり、「車のガラスごしに見るものは水色がかる、その対照で、運転席のガラスを落した窓から見るものは桃色くなる
」(p84)と書かれる。客席の窓ガラス越しに見える風景は薄水色に澄んでいる一方で、運転席のガラスを落とした向こう側の風景、すなわち窓ガラスを通さない風景は薄桃色を帯びている。銀平は、座席から身を乗り出して桃色の世界をながめるが、次第に桃色の世界の空気のなまぬるさに苛立ちを感じて、運転手に掴みかかりたくなる。しかしながら、掴みかかれば狂人になってしまうから、銀平は掴みかかることはなかった。
この場面は、銀平が追いかけている対象が、ガラスを通さない現実としての桃色の世界だということを意味している。この生のままの桃色の世界は、運転手は窓を介さずに直接に享受することができるのだが、客席に座る銀平はその世界を享受することはできず、身を乗りださなくてはならない。このとき、客席は空席になっている。まず注意しなければならないのは、桃色の現実世界は、薔薇色に輝くような美しい世界として描かれていないことである。桃色の現実世界は美しいものではなくて、よどんだ薄桃色として描かれている。「東京は空も巷もほこりによどんでいるから、薄桃色なのかもしれない
」(p84)と銀平は述べている。そして、しばらく桃色の世界をながめた後に、桃色の世界の空気がどんよりと感じられたことに苛立って、運転手に掴みかかろうとする。すなわち、桃色の世界が望まれてはいるものの、完全無欠ではない否定的な世界として扱われている。
また、もう一つ注意しなければならないのは、客席のガラス越しに見える水色の表面世界が、否定的ではなく肯定的に表現されていることである。「もちろんガラスの色を通して見る世界の方が澄んではいる
」(p84)と。この小説が興味深いのは、否定的な水色の世界から、肯定的な桃色の世界を追いかけるという一般的な分かりやすい構図ではなく、肯定的な水色の表面世界から、否定的な桃色の世界を追いかけるという、逆説的な構図が用いられていることである。澄んだ水色の表面世界にありながら、よどんだ薄桃色の世界が望まれているのは何故だろうか? このあたりの倒錯的な態度が、物語を魅惑に満ちたものにしているのだろう。
みずうみの表面世界の寿命は短い
この場面をより具体的に考えてみよう。第一に、水色の表面世界にいる銀平が追いかけるのは生のままの桃色の世界である。桃色の世界は、運転手という一人の他者が当然のように享受している世界であり、客席の銀平は身を乗り出さない限りは手に入れることができない。桃色の世界は淀んでいるものの、現実世界であることには変わりない。他方で、銀平がいる水色の表面世界は肯定的な澄んだ世界である。しかしながら、銀平は水色の表面世界にいつまでもいる訳にはいかないのは、幼少期の経験を踏まえているからである。「みずうみを見ながら歩いていると、水にうつる二人の姿は永遠に離れないでどこまでも行くように思われた。しかし幸福は短かった
」(p23)。水色の世界の表面は冷たく澄んだ美しいものであるが、その幸福の寿命は短くて、決して長くは続かないことを銀平は身に染みて感じている。それが分かっているからこそ、わざとみずうみの表面の氷を割ろうとしたり、花屋の窓ガラスの表面から逃走したりする。水色の世界の表面に映る綺麗なもの、これこそが銀平が愛するものに間違いないが、この表面世界が長続きしないことを知っているゆえに、桃色の世界をのぞんでしまうのではないか。だからこそ、ガラス越しの澄んだ風景から目を逸らして、運転席に身を乗り出してしまうのではないか。
みずうみの奥底に潜む魔界
銀平のような水色の表面世界に憧れている人物にとって、みずうみは表面を映すばかりで、その奥底をみせることはない。みずうみの奥底にあるのは、死か、母か、あるいは魔物が潜んでいるのかは分からない。ただし、水色の表面世界が長続きしないことを知っている人物からは、みずうみの奥底に潜んでいるような特有の魔力が漏れ出しているから、互いに惹きつけ合う関係になれる。「銀平があの女のあとをつけたのには、あの女にも銀平に後をつけられるものがあったのだ。いわば一つの同じ魔界の住人だったのだろう
」(p18)。魔界を持つもの同士は惹かれ合うのだが、推測すると、以下のような関係性になるのだろう。まず、水色の表面世界を憧れている人物は、これが長続きしないことを知っているから、桃色の現実世界に目を向ける。桃色の世界に向けて身を乗り出しているとき、水色の世界には空席としての穴があけられる。自己は運転席に向かって客席に身を乗り出すから、客席は空席になるのである。そして、ぽっかりと空けられた空席部分に魔力が宿りはじめ、この空席部分に他のストーカーが入りこむ余地が生まれる。この連鎖である。
銀平にハンド・バッグを投げつけることになる水木宮子は、銀平と出会った瞬間をこう描写している。「男から抜け出した男の影が宮子のなかへ忍んでくるように感じられたものだ
」(p56)。こうして銀平に入り込まれる宮子も水色の表面世界に憧れている人物である。たとえば、有田老人との会話のなかで、「私は水野さんと恋人がうらやましくて、かなしそうにしていただけなんですもの
」(p59)と述べている。宮子も水色の表面世界を憧れているにもかかわらず、それが長続きしないことを知っている人物の一人である。水野と町枝という二人の水色の表面世界を壊さないように、少しだけふしあわせなことがありそうな薄桃色の世界の町枝の手を握ったその夜、男に付けられている。こうした連鎖が物語のなかで幾度となく繰り返されている。したがって、追いかける側は追われる側でもある。両者は、美しい水色の表面世界を壊したくないという共通点で結ばれている。この小説には、こうした欲望の連関が表現されているに感じられる。
追い、追われる欲望連関
こうした欲望連関のなかで、魔力が連鎖し合う。追う側は追われている側の気持ちがわかるし、追われる側は追う側の気持ちがよくわかる。両者ともに、美しい水色の表面世界を壊したくないという点だけは共通しているからである。したがって空席としての銀平は、ストリイト・ガールやゴム長靴をはいた女に追いかけられるのである。彼女たちは、水色の表面世界を諦めて、桃色の世界に浸かった者たちだろう。さて、こうした考察があたっているのかを検証する余裕はないが、美しい水色の表面世界を壊したくないという暗黙の前提を抱えながら、主人公たちはその表面のうえを滑走するばかりであり、だからこそ、この小説には幻想的な匂いがつねに付き纏っているのではないだろうか、と簡単に考えている。最後に、有名な文章を簡単に考察して終ろう。
「少女のあの黒い目は愛にうるんでかがやいていたのかと、銀平は気がついた。とつぜんのおどろきに頭がしびれて、少女の目が黒いみずうみのように思えて来た。その清らかな目のなかで泳ぎたい、その黒いみずうみに裸で泳ぎたいという、奇妙な憧憬と絶望とを銀平はいっしょに感じた
」。この綺麗な文章において、銀平は水色の表面世界を描いている。それは、とても綺麗なものであると同時に、長続きしないという意味において絶望が感じられる。こうした水色の表面世界に目を背けるべく、運転手としての水野に話しかけてしまい、突き飛ばされ、土手を転がり落ちることになる。この水色の表面世界を現実に持ちこむときは、現実の桃色の世界との接点にある運転手の存在に触ってはいけないのである。なかなか読み応えのある小説だから、今日はこの程度にして、また別の日に本腰を入れて考察することにしよう。
季山時代
2024.01.14

