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シャンプーと泡帽子

二〇二四年一月十三日

シャンプーと泡帽子

しゃんとしなさい、ぷー

二〇二四年一月十三日。僕は、好きなことの後ろに嫌いなことが潜んでいるとき、好きなことが億劫になるという現象を、シャンプーとドライヤーの関係のなかに見出していた。好きなことだけしていると、無秩序が立ち現われるということを言いたいのかもしれない。そういえば、僕はシャンプーという言葉の響きを昔から好んでいた。シャンとしなさいという秩序だった言葉の後に、プーという気の抜けた言葉が続くからである。この緩急が文章に影響を与えているのだろうか。僕はこう書いていた。

山地大樹

シャンプーと泡帽子

シャンプーをするのが好きである。少量の液体を手にとって髪の毛にこすり付けるだけで、大量の泡が頭のうえに溢れてくる。この膨張力が愛おしい。泡のなかに沢山の空気が入りこんで、頭のうえに泡の帽子が立ち現われる。その帽子は、頭のかたちよりも頭のかたちにそっくりだから不思議である。この泡帽子が愛おしい。しかしながら、最近、シャンプーが面倒くさくて仕方がない。シャンプーするのは大好きなのだが、髪を乾かすというその後の工程を考えると憂鬱になってしまう。何分間にもわたって、ドライヤーという重荷を片手で持ちあげながら、コードに縛られて鏡の前から動くことができない様子は、ほとんど監獄と言えるだろう。この不自由を考えるだけで、大好きだったシャンプーが面倒になってしまう。とはいえ、髪を乾かさなければ、髪の毛が痛んで無造作に乱れてしまうから、ドライヤーをしない訳にはいかない。好きなことだけできないものだろうか。

季山時代
2024.01.13