跳ねる蟷螂の大群
跳ねる蟷螂の大群
シュルレアリスムの絵画のイメージ
二〇二四年一月十六日。僕は、シュルレアリスムの絵画が突如として想起される現象に襲われていた。不意に頭のうえに浮かんでくる絵画は、印象派でポスト印象派でもなく、いつもシュルレアリスムの絵画である。イメージを喚起する力のようなものがあるのだろうか。それとも、ダリに自分自身を重ね合わせたいという欲望がイメージを喚起させるのだろうか。ダリは、フロイトの精神分析にあてはまるように自分自身を改造して、ミレーの晩鐘に関する天才的な解釈をほどこしたが、僕はそういう仕事をしたがっていたからである。ダリの方法論に影響を受けたのがコールハースの手法だとすれば、僕は建築に未練があることも透けてみえる。僕はこう書いていた。
山地大樹
跳ねる蟷螂の夢分析
蟷螂の大群ががぴょんぴょんと跳ね続ける夢を見た。目覚めて気がつくのは、跳ねるのは飛蝗であって蟷螂ではないということだが、蟷螂の連想からはじめよう。まず蟷螂で連想されるのは、蟷螂の雌は交尾中に雄を食べようとすることである。そこから、ダリが『晩鐘』に女性の攻撃性を解釈したことが連想される。蟷螂が大量にいることを考えると、マグリッドの『ゴルコンダ』の風景が連想される。なるほど、シュルレアリスムという繋がりがあるのかもしれない。端的にまとめると、複数の匿名の女性の攻撃性だろう。跳ねるという点に関しては、昼御飯にペペロンチーノをつくる際に、ニンニクが跳ねたことが考えられる。ニンニクといえば口臭を連想するのは当然であり、口臭が女性との接吻を退けるだろう。ともすれば、跳ねる蟷螂の群れというのは、女性と遊ぶことを退けようとする女性の集団なのかもしれない。浮気の反対をうたいながら群れる女性たちだろうか? 僕が欲求不満だというのだろうか? なるほど、蟷螂の目はこちらを睨みつけて、いまにでも襲いかかってきそうである。
季山時代
2024.01.16


