機械と人間
機械と人間
第四の境界
二〇二四年二月四日。僕は、古本屋で機械と人間の境界について書かれた本を見つけて、適当に流し読みをしていた。機械と人間の境界、すなわち第四の境界はどこへ向かうのだろうか。僕が各文章を読むと、永遠を生きる完全な機械にとって、死を抱えた不完全な人間が邪魔であることが明らかにされている。結局のところ、機械が人間に使われるという前提が崩れない以上、完全な機械というのは出現しない、あるいは出現しても活用させることはないのだろう。僕はこう書いていた。
山地大樹
機械と人間、永遠と有限
もし完全な機械があるならば、それは永遠に動き続けるだろう。その完全な永遠の機械に対して、不完全な人間は必ず死を迎える。完全な機械の永遠の生と、不完全な人間の有限な生が対比される。したがって、もし完全なる機械が完成したならば、その機械は人間の不完全さを際立たせてしまう。機械は永遠の生を意味するがゆえに、有限な人間の死を意識させる。だから、人々は完全な機械を望まない。数々の小説が、完全な機械による人間への反逆を描くのは、不完全な人間の死を意識させるためには、完全な機械を用いることが有効だと知っているからである。完全な機械への嫌悪感は人間の死に由来するものなのである。そこで人間は完全な機械へ怯えると同時に、完全なる機械を人間に近づけて死を設定しようとしたり、完全なる機械と融合しようとする。要するに、人々は死への不安から逃げるために機械を利用するのである。
機械と人間の接点から
死への不安に耐えられない人々は、完全な機械を生物に近づけて殺そうとするか、あるいは完全な機械との融合を狙って死への不安から逃亡しようとする。前者の場合、機械を人間のように殺すという点で分かりやすいが、機械に死を設定するのは時代錯誤である。機械の寿命をわざと縮める試みなど、文学的な主題にはなり得ても現実的な主題にはなり得ない。そこで、完全な機械との融合という後者の場合に進むだろう。人々は完全な機械そのものではなく、完全な機械との同一化を望みはじめる。完全な機械の永遠性の力を借りることで、不完全なる人間の有限性を解消しようとする。ここにおいて、人間の有限性は限りなく延長されて永遠に近づいてゆく。自動車、飛行機、情報機械、これらは人間と結びついて、死ぬことなき永遠の世界へと人間を羽ばたかせるだろう。ここで重要なのは、機械と人間との結びつきがう失われないことである。たとえ糸屑程の小さな結びつきであれ、人間と機械の接点が途切れると、完全な機械と不完全な人間の対比が行われ、死の匂いが漂いはじめるに違いない。完全自動運転の死の匂いは、機械と人間の接点が完全になくなることに由来しているのではないだろうか。無人は完全であるが、その完全性は死を呼び寄せるだろう。
季山時代
2024.02.04
