透明なビー玉をください
二〇二三年八月一日
透明なビー玉をください
道路の亡霊
二〇二三年八月一日。僕は透明なビー玉を異常なほど欲しがり、街中を歩きまわっていた。興味深いのは、透明なビー玉が道路に落ちているはずだ、と僕が確信していることにある。僕は、室内を探すことは決してなく、灰色の道路のうえばかりを探しまわる亡霊のようであった。アスファルトの道路という地と、美しい透明なビー玉という図の対比が、僕にとって重要な意味を持つのだろう。腐った太陽よりも、ざらざらした現実よりも、ビー玉のイデアの捕虜として生きることの決意だろうか。僕はこう書いていた。
山地大樹
小さな太陽
綺麗な言葉に混じっている小さな汚れが気になって、綺麗な言葉をありのままに飲みこめないのが悲しい。不純さが喉に引っかかって、どうしても吐き出してしまうのが苦しい。透明なビー玉を僕にください、透明で綺麗なビー玉を僕にください。汚らわしさの欠片もないような、美しく純粋なビー玉を、この手のなかで抱きしめることが出来るなら、それが僕の生きる理由になります。小さく輝く太陽は、醜さのすべてを払いのけて、僕を世界から守ってくれるに違いありません。透明なビー玉をください、透明で綺麗なビー玉をください。
季山時代
2023.08.01