Archive Walker

ロックとは生命の受け渡しである

二〇二三年八月四日

ロックとは生命の受け渡しである

テレパシー

二〇二三年八月四日。僕は久しく会っていなかった友人に会いに行き、その帰り道で深く思い悩んでいるようだった。家に帰っても、枕のうえで何かを悩み続けているのが見てとれた。無線のイアホンで音楽を聴きながら、何かを考え続けていた僕は、生命の神秘について、あるいはテレパシーの原理について考えていたらしい。というのは、フロイトがテレパシーを信奉していたことを知ったばかりだったのだから。僕はこう書いていた。

フロイト、夢について語る

山地大樹

白塗りバンド

夜、友人と夜の古着屋を散歩していると、外国のロックバンドの古びたTシャツを見つけた。黒を基調としたTシャツの表面には白塗りの顔が四つ並んでいて、こちらの様子を無邪気に眺めていたが、その四つの顔は東京の街を表徴しているようであった。友人は洋服を手に取ると、自分の身体に合わせながら「ロックがなければ死んでいた」と静かに告げた。僕は、友人の言葉の意味を理解することが出来ず、動くのを辞めていた。しばらくして、その反対の言葉が頭に浮かんできた。「ロックがあるから死にたくなる」、と。

持つこと、成ること

友人と僕、二人の埋められない差異が頭から離れないから、差異を差異のまま家に持ち帰って、風呂場で、寝台で、その差異について考え続けた結果、その差異は二人の立場の違いによるものだという結論にたどり着いた。ロックを消費する友人の立場とロックを生産する僕の立場、言い換えるならば、ロックを持とうとする立場とロックに成ろう立場の違いである。前者は自分自身がロックを謳うことを諦念した人であり、後者は自分自身がロックを謳うことを信じる人である。

僕たちは世界を変えることができるか

僕はというと、自分自身がロックを謳うことができると信じているから、ロックを謳う人と同じ立場に身を置くことを欲しているから、その理想と現実のずれで死にたくなっている。当然ながら、どちらの立場が優れているというわけではないし、どちらが正しいというわけではない。ただ、ロックがなければ死んでいた人とロックがあるから死にたくなる人のあいだには、埋めることができない鋭い裂け目があることは確からしい。そして、両者のあいだの断絶を前提とするならば、一つの仮説が浮かび上がる。それは、ロックとは生命の受け渡しではないかという仮説である。

死の切削

ロックがあるから死にたくなる人が、ロックがなければ死んでいた人に生命を受け渡しているのではないか。この仮説は大胆な思弁に過ぎないが、ロックを謳う人には必ず死の匂いが付き纏っていることは否定できない。ロックを謳う人が生命をすり減らせばすり減らすほど、ロックを聴く人にはより多くの生命が受け渡されているように思えてならない。僕は、どれだけ死にたくなれるだろうか。僕は、どれだけ生命を削れるだろうか。そして僕は、どれだけの生命を人に受け渡すことができるのだろうか。大人になりきれない僕は、いつまでも悩み続けるのだろう。

季山時代
2023.08.04