Archive Walker

犬の大群に囲まれて、美しい音楽に包まれた話 太陽に冷蔵庫をつくろうよ他

日々の記録

依頼者様へ。お世話になっております。二〇二三年度、八月八日から八月九日までの調査報告になります。ご参考いただければと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

二〇二三年八月八日

太陽に冷蔵庫をつくろうよ

太陽に影がないこと

二〇二三年八月八日。昨日と変わらず、僕はほとんど動くことはなくデスクに座り続けていた。動かなければ 動かないほど、僕の想像力は飛躍してゆくようだった。昼頃、僕は太陽を浴びなければならないと考えたのか、散歩に出かけるのだが、照りつける太陽に打たれて嫌になったのか、すぐに道を引き返していた。僕は輝き過ぎている太陽に震えていた。ただ、太陽そのものに嫌気がさしたわけではなさそうである。そうではなくて、太陽に影がないこと、あるいは太陽が完全すぎることが気に食わないのだろう。バタイユの腐った太陽の影響を感じ取れる。僕はこう書いていた。

ドキュマン

山地大樹

太陽冷蔵庫の制作

太陽に冷蔵庫をつくろうよ、と彼は言った。僕は素晴らしい提案だと思ったから、彼に協力することに同意した。僕は、太陽冷蔵庫の制作に着手した。何日も、何日も、閉じきった地下室のなかで太陽冷蔵庫の試作を重ねていた。太陽冷蔵庫をつくろうと提案をしてきた彼は、食事もとらず、睡眠もとらず、ただ取り憑かれたように制作する僕の姿を見て恐怖を覚えたのか、この計画は中止にするべきだ、と言った。僕は馬鹿ばかしい提案だと思ったから、彼を知らない場所に追い払った。彼は会えない人になった。僕は、太陽冷蔵庫の制作に励み続けて、ちょうど三年後にそれは完成した。そして完成すると同時に、僕は太陽冷蔵庫のなかに入って戻らぬ人となった。

季山時代
2023.08.08

二〇二三年八月九日

犬の大群に囲まれて、美しい音楽に包まれた話

犬の連想

二〇二三年八月九日。僕はカフェで本を読んでいた。そして、ジャン・ジャック=ルソーが犬に襲われて大怪我を負った話を読んだ途端、大量の冷汗が溢れ出して止まらなくて困惑した様子だった。僕は、タイで犬に囲まれた話を想起したらしい。推測するならば、僕は今朝の電車のなかで、大江健三郎の犬殺しの小説を読んでいたから、その風景がルソーに襲いかかったデンマークの犬と結びついて、凶暴なものとして想起されたのだろう。ところで僕が書いている文章を見ると、僕は、個別的でばらばらのものから全体としての調和が生まれる効果を記述することに腐心しているようだ。このばらばらで個別的なものの比喩が、眼球でなく咆哮だというのは興味深い。なるほど、眼球の眼差しが他者として自己を動揺させるように、響き渡る咆哮も他者として自己を動揺させるという点で同様であるが、咆哮はとても暴力的に介入してくる防御不可能なものである。耳にまぶたはなく、咆哮は唐突に介入する。芸術における音楽の特権性はこのあたりにあるのだろう。僕はこう書いていた。

孤独な散歩者の夢想

大江健三郎自選短篇

山地大樹

バンコクの水上バス

数年前、タイのバンコクで遺跡を見に行こうと、川の流れと反対方面に向かって進む水上バスに乗っていたときのことです。美しい川の流れを切り裂く船のうえ、飛んでくる異国の水滴を横顔に受けなら、僕は船の到着を待ちわびていました。船のうえは大変混雑していて、乗客たちの声が途切れることはありませんでした。しばらく乗っていると、目的地の港駅が見えてきて、船は徐々に陸に近づいてゆき、船と横腹と陸が小さな木製の橋で結ばれ、僕は不安定に揺れた橋を慎重にわたりました。水上バスは混雑していたのですが、こんな辺鄙なところで降りる人などなく、目的地の港駅で降りたのは僕一人でした。乗客たちはさらに上流にある街に帰郷するのかもしれません。港駅は簡素なものでしたが、二段に積まれた赤紫のコンテナが取り囲む広場につながっていて、内陸に向かうには広場を通り抜ける必要がありました。

狂犬病の犬

川を背にして港駅から広場に踏みこんだ時、一匹の犬が僕の前に立ちはだかりました。左耳はギザギザにちぎられ、皮膚は赤い斑点のようにただれ、舌を口外にぶら下げながら、涎を垂らし続けていました。その犬は、鋭い目つきでこちらを睨みつけながら、落ち着きなく動きまわり、興奮を抑えきれない様子でした。狂犬病、という言葉が頭に浮かんだ僕は不安になり、犬から目を離さないように気を付けながら、背負ったリュックサックのなかに武器を探しましたが、武器になりそうなものはラップトップと折り畳み傘くらいしかなく、仕方がないから、折り畳み傘の柄をゆっくりと伸ばして、もし犬が噛み付いてくるなら叩き殺そうと考えました。犬は警戒しながらこちらを睨んでいたのですが、しばらく睨み合いが続いた後、驚くほど大きく吠えました。緊張が走り、僕は折り畳み傘の持ち手を強く握りました。

一二〇匹の犬

閃光のように響きわたる一瞬の鳴声。あれほど綺麗で切ない声を聴いたことはありません。その一声を皮切りにして、嵐のように激しく吠えはじめた犬は鳴り止むことがなく、暴走した機械のようでした。僕は、もし犬が一歩でも距離を詰めようとするならば、傘を振りおろす用意ができていました。結局のところ、吠え続ける犬は襲いかかって来ませんでしたが、悲劇はここからはじまりました。鳴り響いた犬の鳴声を聴いて、広場をぐるりと囲む赤紫のコンテナの隙間という隙間から、犬がわらわらと湧き出してきて、犬の大群となって押し寄せてきたのです。一二〇匹ほどいたと思いますが、身体の前後左右を夥しい数の犬が取り囲んで、それはまるでクロード・モネの描いた『睡蓮』のように、全体として僕を包みこんでいました。

犬の咆哮と音楽

一二〇匹の犬たちは、各々が鋭い目つきでこちらを睨みつけていましたが、各々の眼球はどれも同じような匿名性を帯びているように見えました。マグリッドの『ぶどうの収穫月』のような匿名な眼球とは裏腹に、各々が生み出す咆哮は独自な固有性を持ち、ばらばらな声たちは固有性を持ちながらも調和しはじめ、反響と共鳴の効果によって、全体として一つの音楽を奏でていました。行き場を失った僕は、恐怖というよりも、その奇妙な音楽の美しさに同調してゆくように感じられました。一二〇匹の勝手に演奏をする楽器と、一本の折り畳み傘で指揮をとる僕、全員の力で舞台をつくりあげている一体感のなかには、古典音楽のような静謐な晴れやかさがありました。コンテナに囲まれた広場のなか、なんと美しい建築が立ち現われたというのか。

音楽の終焉

一分か、一時間か、はたまた永遠か。演奏時間がどれほどの長さだったかは知る由もありませんが、囲まれたコンテナに立ち現われた夢の劇場は、鋭く吹かれた笛の音とともに終焉をむかえました。周波数の高い笛の音が、ひゅう、ひゅう、と間を置きながら二度にわたって鳴り響き、その音を聴いた犬達は一目散に退散し、コンテナの隙間へと消え去ったからです。犬の群れが消え失せると、静寂があたりを包みこみ、犬の群れの代わりに、一人の男の姿が浮かび上がりました。僕は笛を手にした地元民が助けに来てくれたことを知りました。褐色に日焼けした肌に、ぼろぼろに破れた薄いリネンのシャツと、風がよく通り抜けそうな薄い半ズボンを身に付けた男が、赤いプラスチック製の小さな笛を持ちながら、行け、行け、と合図を送ってきました。この男の目の下の深い窪みを見るならば、貧困で飯も食えていないことが明らかでしたが、僕は、この貧しいな男が美しい音楽を邪魔したことに対して急激に腹が立ちました。

音楽の終焉

この男は邪魔者でした。僕と犬が奏でる全体としての音楽を強引に中断させたからです。しかもこの男は、僕と犬の群れが奏でる高貴な調和にとって相応しくないほど現実的だったのです。いま想えば、僕は、犬の群れとの調和のなかに死にたかったのだと思います。空がじっと見つめるなか、一二〇匹の鳴声が産みだす音楽のに包まれて、死体になる暇もなく、一二〇匹の異国の犬に食い散らかされて、音楽の終焉を聴くこともなく、全体としての音楽のなかで死に絶えながら、その凄惨で美しい死と引き換えに、一二〇匹の犬の明るい腹のなか、永遠の調和を生きることを望んでいたに違いありません。だから、笛を吹いたこの男に憤りを感じたのでしょう。この貧しい男は、僕が死ぬ機会を、そして永遠に生きる機会を奪いとったのだから。犬が消えて閑散とした広場のうえ、折り畳み傘を強く握りしめたまま、場違いな男を鋭く睨みつけてから、足早に広場を後にしたことは懐かしい想い出です。

季山時代
2023.08.09