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嘘からはじまる誠実

二〇二三年八月十九日

嘘からはじまる誠実

神経症的誠実

二〇二三年八月十八日。僕は壊れたイアーマフを返品するべく、嘘を付き、その嘘が誠実を生み出したという奇妙な事態に困惑していたようである。とりわけ、その神経症的な悩みは、ロシアの有名な小説のあらすじに似ていなくもない。ともかく、金の斧と銀の斧の物語を肌で感じた僕は、いろいろなことを考えているようだった。僕はこう書いていた。

罪と罰

山地大樹

壊れたイアーマフの保証書

誠実な大人になろうと、みずからに約束していたのにもかかわらず、今日、一つの嘘を付いてしまったことを告白しなければなりません。また、嘘を付いたというだけでなく、嘘を付いてしばらくして、罪意識に押し潰されそうになり、本当のことを言ってしまった自分の弱さが恥ずかしくて仕方ありません。悪魔をみずからに取り憑かせながら、みずから悪魔を追い払うという自作自演を認めて、もう二度とこのようなことが起こらないように反省しながら、事の顛末をここに記そうと思います。事件が発生したのは、先日の朝のことです。僕は、愛用していたイアーマフを不注意から床に落としてしまい、その結果、イアーマフは真っ二つに割れて、二度と原型を取り戻せないほどに壊れてしまいました。購入して一年以内の商品だったため、イアーマフは保証期間内だったのですが、保証書の説明をよく眺めてみると、赤く小さな文字でこう書かれていました。

※落下による故障は保証期間内でも対応しておりません。

イアーマフは保証期間内であるとはいえ、落下によるものだから、保証は効かないことは明らかでした。そう、嘘を付かない限りにおいて。

嘘の返品理由と文章の強張り

所持金をほとんど失って途方に暮れていた僕は、というのは嘘で、所持金をほとんど失って途方に暮れていたという言い訳をつくりあげた弱い僕は、新しいイヤーマフを無料で手に入れようと悪巧みを考えて、あろうことか、嘘のメールを送ることを決めたのです。

御社の製品『X』というイアーマフを○年○月○日にYというサイトで購入して使用しておりましたが、先日の使用中、左右のイヤーカップ部分が割れてしまうという故障が発生しました。普段から重宝させていただいているため、自然消耗かもしれませんが、強い衝撃は加えてないように思います。一年間の保証期間となっているので、もし交換など可能であればお願いしたく、メールさせていただきました。お忙しいところ申し訳ありませんが、故障した写真を添付いたしますので、ご確認よろしくお願いいたします。なお、下記がYというサイトでの購入情報になります。等々。

いま見返すと恥ずかしい文面です。丁寧さの裏側に透けてみえる下心が、吐き気を誘うほど厭らしい臭気を放っています。この文面は根元から腐っているのが明らかでした。嘘をついている渦中にいる僕は、自分を守るための嘘を付くとき、いくら善人を装っても厭らしさが漏れ出してしまう単純な事実を忘れていたのです。とりわけ「自然消耗かもしれませんが」とか、「強い衝撃は加えてないように思います」など、普段だったら挿入するはずのない無駄な文章が散りばめられ、ミステリー映画なら犯人以外の何者でもないことが明白です。文章が強張って優雅さを失った結果、可笑しさが溢れ出しているのです。当然、その嘘は完璧に見ぬかれていたようで、このような返信が届きました。

お世話になります。カスタマーセンターのZと申します。この度はお問い合わせ頂き有難うございます。また、ご購入の製品につきましてご不便をお掛けし申し訳ございません。問い合わせの件につきまして、ご状況の詳細を確認させて頂きたく存じますが、製品本体の落下や強い衝撃等なく、急にイヤーカップ部分が外れたという事でしょうか? また、商品の開梱直後は特に問題無く使用できており、急にご連絡のような症状になったという事でしょうか? 本件につきまして、ご状況の確認次第早急にご対応をさせて頂ければと存じますのでお手数をお掛けし恐れ入りますが上記内容に関しましてご確認、ご返事を頂けますと幸いです。ご不便をお掛けし大変申し訳ございませんが、何卒ご確認の程宜しくお願い致します。

へ、へ、へ! 響きわたる呼び声

製品が落下で故障したことは見透かされていること、こちらに非があるのに謝らせてしまったこと、相手の時間や心的労力を奪ってしまったこと、そのすべてに恥ずかしくなりました。僕は、正直に謝ることにしました、というのは嘘で、自分の気恥ずかしさに耐えられなくなって自白することにしたのです。なぜなら、ドストエフスキーの小説のあの笑い声が聞こえてきたからです。「へ、へ! へ、へ、へ!」。この脳内に響きわたる笑い声は、嘘をつくと必ず聴こえてきて、僕は鳥籠に閉じこめられた鳥のように、この声から逃げることが出来なくなるのです。

お世話になっております。早急な対応ありがとうございます。正直に申し上げますと、製品を落下させてしまいました。そこまで大きな落下ではなかったため、もし保証が効くのならば交換可能になるかと思い、連絡してしまいました。大変、申し訳ありません。この件ですが、御社の製品を再度購入することにいたしましたので、水に流していただければ幸いです。ご迷惑とお手数をおかけして申し訳ありません。また何かありましたら、よろしくお願い申し上げます。

誠実さが文体に現われているのが分かります。誠実になった途端、文章が綺麗になるのはなぜなのでしょうか。文体は書き手の顔であり、もっともよく澄んだ鏡だということです。文章の強張りは失われ、僕が嘘を告白して安心しているのも明らかです。罪を犯した者は、かえって監獄に入ったほうが安心するのです。そうでなくては、心のざわめきに押し潰されてしまうから。世のなかに自発的な囚人が多数いるのは、安心を求めるためにほかなりません。とはいえ、この話には続きがあるのです。このメールに対して、驚くような返信が届くからです。

金の斧と銀の斧、そして起源としての嘘

お世話になります。カスタマーセンターのZと申します。ご連絡頂き有難うございます。ご状況につきまして承知致しましたご不便をお掛けし大変申し訳ございません。大変恐れ入りますが、ご連絡の内容ですと、保証の対象外となってしまい、誠に恐れ入りますがご返金等の対象外となります。しかしながら、この度は折角商品をご購入頂いたという事もあり、今回に限り保証の対象とさせて頂ければと存じます。

この返信に驚いたことは言うまでもありません。結局のところ、イアーマフはピカピカの新品になって返ってきました。僕は、金の斧と銀の斧の童話を想い出しました。誠実になると得をするという教訓を教えてくれる童話です。ただ一つだけ恐ろしいのは、僕の物語のはじまりは嘘だということです。欲張りで嘘つきのきこりは、斧をわざと川に落としますが誰も拾ってくれませんでしたが、僕の場合、欲張りで嘘つきなのにもかかわらず、斧を拾ってもらうわけです。嘘からはじまる誠実は、果たして誠実なのでしょうか?そもそも、嘘なくして誠実などあり得るのでしょうか? 嘘をつかなければ何も始まらない。嘘は万物の起源なのかもしれません。最後に一言、嘘を付いて、ご迷惑おかけして大変申し訳ありませんでした。

季山時代
2023.08.19