ドーナツの穴の向こう側
ドーナツの穴の向こう側
穴のあいた円
二〇二三年八月二十一日。僕は奇妙な夢を見たようであった。重要なのは、ドーナツの比喩そのものというよりも、ブランコやおっぱいという円の現象学的イメージが連日にわたって押し寄せてきていることである。僕に現われてきた円は、バシュラールのような完全な正円の詩的イメージなどではなく、真ん中に穴があいているものだと考えられる。円の境界がひび割れているわけではなく、円の境界が綻びているわけではなく、円の真ん中に穴があいていること。僕の抱えている空虚を意味しているのだろうか。これは、いずれ考察しなければならないものである。僕はこう書いていた。
山地大樹
ドーナツの花束
あるリアルな夢。両手いっぱいのドーナツを抱えた君が、代々木公園の入口で待っている。安いコーヒーを右手に、高いカフェラテを左手に、テイクアウトした飲物で両手の塞がった僕は、急ぎ足で代々木公園に向かっている。代々木体育館を抜け、歩道橋をわたって代々木公園の入口に付くけれど、君の姿は見当たらない。その代わり、身体より大きなドーナツの花束が、一束だけぽつり、石畳のうえに落ちているのを発見する。そうだ、ドーナツの花束のなかに君がいるに違いない。僕は、ドーナツの花束の向こうにいるはずの君を捜してみる。幾重に重なり合う薔薇の花弁のように重ねられたドーナツ、そのドーナツの穴から何度も向こう側を覗くのである。でも、君はいない。気がつくと、僕が持っていたコーヒーとカフェラテが溢れてしまって、幾つかのドーナツに染みこんでいる。コーヒーの染みたドーナツを食べてみると、とても甘くて、とても美味しくて、そのあまりに美味しさに君のことなど忘れてしまって、僕は夢中になってドーナツを貪り尽くす。ドーナツの花束は無残に散ってゆき、花束の跡にはなにも残らなかった。残ったのは、甘すぎるドーナツで麻痺した舌と、空っぽのコーヒーのカップだけである。
季山時代
2023.08.21
