本当の願い事を僕にください
本当の願い事を僕にください
星に願いを
二〇二三年八月二十五日。僕はフランス詩人の星空のような詩を読み、感銘を受けていた。早速、真似事をはじめるのは制作にたずさわる人間の性だろう。僕は、とりあえず詩をつくりながら、その効果を記述してみている。僕はこう書いていた。
山地大樹
本当の願い事を僕にください
本当の願い事を僕にください
眺めるばかりで住まうことが失われた現代
願い事は美術館のガラスケースの向こう側
触れられない美術品のように眠りについた
いくら手を伸ばしても
到達できない遠くの客体
手を伸ばしたら届きそうな
美しく輝くビー玉のような
繊細な息遣いを感じさせる
隣を駆ける流れ星
本当の願い事を僕にください腕のうえ
うたた寝した願い事が
恋しくて、恋しくて
空のうえ
もう会えない願い事が
悲しくて、悲しくて
消えてしまいそう
©季山時代《本当の願い事を僕にください》2023季山時代
詩句の効果の記述
よく分からぬままに、マラルメらしきものを日本語で書いてみるならば、フランス語には見られない効果が見出せるに違いない。第一に時間軸。左上から右下に目線が流れてゆくのが自然であり、過去から未来への時間の流れを意識させる一方、右上から左下に流れてゆく目線は不自然であり、その方向は未来から過去へ遡行する印象を与える。その二重の時間軸が交錯するとき、宇宙的なものが立ちのぼる。第二に修飾関係。「手を伸ばしたら届きそうな」「美しく輝くビー玉のような」「繊細な息遣いを感じさせる」。これらの三つの句が、「隣を駆ける流れ星」に等価にかけられる。これは、左上から右下に流れる時間が常に働いているからである。第三に選択。「腕のうえ」「空のうえ」のどちらかのブロックを読みながら選ばなくてはならない。これは、文章のブロックが横に並列されるならば、どちらかを選択することを強要するということだろう。マラルメは建築のような詩をめざしたが、これは明らかに建築である。読者の内的時間が問題なのだろうか。
季山時代
2023.08.25
