Archive Walker

湿潤滑走路 犬は自殺をするものでしょうか他

日々の記録

依頼者様へ。お世話になっております。二〇二三年度、八月二十八日から八月三十一日までの調査報告になります。ご参考いただければと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

二〇二三年八月二十八日

関節なき身体

関節のない身体

二〇二三年八月二十八日。僕は《The time is out of joint!》という言葉を執拗に思い浮かべていた。世のなかの関節がはずれている。ばらばらで機能不全の身体を結びつけるものはなにか。それを想定するべきか、想定するべきではないのか。僕は迷いながら、とりあげずエーテルなるものを想定してみたようである。シュタイナーの影響だろうか。僕はこう書いていた。

ハムレット

山地大樹

エーテルとアンテナ

お前は生まれつき関節がないんだ。肘がない、膝がない、地面がとても軽く感じるはずだ。ただ、エーテルが骨と骨のあいだを繋いでいる。エーテルは関節の代用品ではない。エーテルはあちら側とこちら側を繋ぐ回線なんだ。関節のないお前はアンテナなんだ。世界を受信する糸、椅子に座られた信徒。だから、感度を上げろ。観察するな、敏感でいろ、鮮やかな世界に。現在から未来を見て、未来から現在をみるんだ。

季山時代
2023.08.28

二〇二三年八月二十九日

湿潤滑走路

超高圧路面清掃車

二〇二三年八月二十九日。僕はテレビ番組で、超高圧路面清掃車が空港の滑走路を掃除する映像をみていた。滑走路には、グルービングと呼ばれる細い溝が筋状に掘られていて、その溝が飛行機のスリップを防止しているのだが、飛行機が着陸するとき、タイヤと地面の摩擦熱によってタイヤが溶け出した結果、溝が詰まって危険が高まる。だから、定期的にタイヤゴム痕の除去をしなくてはならず、飛行機が飛ばない夜の時間帯に除去作業は行なわれるという。従来、除去作業は大変な労力を伴うものだったが、超高圧路面清掃車が開発されてから飛躍的に効率があがり、わずかな時間で滑走路が綺麗になるらしい。超高圧路面清掃車は、超高圧水を噴射するという単純な力技なのだが、僕は高圧水の勢いに感嘆していたようで、手元のメモに「乳搾りのごとく、神聖な作業」と書きこんでいた。ところで、僕が書いている文章のテーマは明らかに湿潤と乾燥の弁証法だろう。二〇二三年八月二十七日の『かえるの唄とかめの唄』との類似性も確認できる主題である。そこに、偶然と必然が重ね合わされているのも興味深い。また、カエルが僕によって重要な役割を占めているのはいずれ分析されなくてはならない。僕はこう書いていた。

山地大樹

湿潤滑走路

月が綺麗な夜。濡れた滑走路、水溜りだらけの湿潤状態の路面が僕の前面に拡がっている。宏大な灰色の滑走路のうえ、橙色の大型機械に初老の男が一人、運転しながら路面を乾かしている。男の顔はよく見えないが、年季の入った労働者であることは間違いない。アスファルトのうえ、黄土色の僕は大型機械の正面に立ち塞がり、労働者に声をかけなければならない。

君、その路面を乾かさないで。

何を言ってるんだ! 大雨の後は車輪が滑って危ないだろう。湿潤は死を呼び寄せてしまうぞ。路面は乾燥させなければならない。

別に事故に遭おうが、事故が起ころうが構わない。死ぬのは何も怖くないし、誰かが死のうが興味すらない。ただ、死ぬとか死なないとか、そんな重要なことを君が操作しようとすること、この気持ち悪さに耐えられない。その作業を今すぐ中断してくれないか。

何を言ってるんだ! 大雨の後は路面を乾かすって決まりなんだ。仕事の邪魔をしないでくれ。本当のことを言えば、俺は乗客が死ぬとか死なないとか考えたことなどない。雨が降ったら路面を乾かす、ただそれだけの仕事だ。そこに難しい理屈などない。路面は乾燥させなくてはならないというだけだ。分かったら、そこを退いてくれ!

いや、退かない。君がどう考えようと、君が僕の生死、そして乗客の生死を操作しているという事実が気に食わない。君が路面を乾かすことは、僕や彼らが偶然に死ぬ権利を奪うことだと自覚して欲しい。湿潤した滑走路のうえで僕らが偶然に滑り死ぬかもしれないこと、僕の偶然の死の可能性を君は奪っているんだ。分かるかい? つまり、僕らは偶然に死にたいってことで、君はそれを邪魔してるんだ。偶然を取り除く必要が何処にあるだろう。事故の可能性を万全に排除する意味が何処にあるだろう。もし事故が怒るのが嫌ならば、路面は自然乾燥に任せておいて、路面が乾いてから一日をはじめればよいだろう。わざわざ機械で乾燥させるのは罪悪でしかない。君は、今すぐ、その作業を中断しなくてはならない。

何を言ってるんだ! 俺がお前から何を奪ったっていうんだ。偶然に死ぬ権利だと? そんなものは最初からない。人は必然に死ぬんだ。決められた場所で、決められた時間に死ぬんだ。偶然など介入する余地はない。お前が湿潤した滑走路で滑り死んだとしても、それは必然であって偶然ではない。俺は生活のために仕事をしているんだ! 訳の分からないことを言ってないで、そこを退いてくれ! 早くしないと朝になっちまう!

いや、退けない! 人は偶然に死ななくてはならない。必然の死など詭弁だ。これだから労働者は嫌いなんだ。自惚れが強すぎて、すぐに偶然性を切り捨てる。だから、君は仕事終わりに賭博場で賭け事ばかりしているのさ。君らは仕事場では偶然を排除しながら、仕事ではない場所で偶然を希求している。でも、賭博場のは飼い慣らされた偶然であって、野生の偶然とは程遠い代物だ。賭博場では、偶然が必然のなかに含まれているんだ。僕はそれが許せない。逆でなくてはならないんだ。つまり、必然が偶然のなかに含まれていなければならない! 偶然を飼い慣らすのではなく、必然を飼い慣らすんだ!

何を言ってるんだ! お前の訳の分からない理屈などうんざりだ! これ以上の邪魔するならば、今すぐ轢き殺すぞ! そこを退け!

殺せ! 殺せるものなら殺してみろ! 偶然万歳! 偶然万歳!

本当に轢くぞ! 退け、馬鹿野郎!

顔を赤くした労働者は、アクセルペダルに思い切り体重をかけたが、ペダルは硬くて微動だにせず、大型機械は前進しなかった。アクセルペダルと床面のあいだに一匹のカエルが挟まっていたからである。挟まれたカエルは苦しそうな鳴声をあげて、静かに息をひきとった。カエルは偶然に殺されて、男は必然に生き延びたのである。

季山時代
2023.08.29

二〇二三年八月三十日

ガウディとサグラダファミリア展の感想など

ガウディとサグラダファミリア展

二〇二三年八月三十日。僕はガウディとサグラダファミリア展に足を運んだが、寒さと混雑からすぐに会場を後にしていた。そこまで感動するものではなかったのかもしれない。僕はこう書いていた。

山地大樹

とりとめのない感想など

ガウディとサグラダファミリア展へ。僕はガウディに憧れて建築家をめざしたから、この展覧会には期待していたが、展示会場があまりに寒すぎること、そして展示会場があまりに混雑していることに吐き気を覚えて、すぐに出てきてしまった。展示そのものは気合が入っていたが、実際にガウディの建築を見学したことのある僕にとっては、物足りないものであった。建築は実物のほうが感動するだろう。ところで、この展覧会で一番に感動したのは、ガウディの卒業設計の図面の書き込み具合である。建築は、写真や模型という二次資料でみた方が分かりやすいが、それは設計者にとっても同じであることに注意されたい。設計者にしても、いきなり実物を設計するのではなく、二次資料から検討をはじめて、そこから実物が立ちのぼらせる。だからガウディの実物は、ガウディの図面の書きこみの密度に呼応する。もしそうだとすれば、図面を描く際の鉛筆の細さだったり、図面を描く際の筆の器用さが、建築の細やかなディティールに如実に反映されるわけである。そうした密度感を感じられたのが面白かった。

ガウディの天井模型©季山時代《天国の光》2023

ガウディの模型の一部©季山時代《女性器》2023

ガウディの照明©季山時代《衝撃》2023

季山時代
2023.08.30

二〇二三年八月三十一日

犬は自殺をするものでしょうか

遺書というエクリチュール

二〇二三年八月三十一日。僕は珈琲をのみながら、文庫をパラパラとめくっていたら、犬は自殺をするものでしょうかという文言を見つけていた。これが印象に残っていたようで、犬の自殺について考えはじめたようである。自殺というのは、遺書というエクリチュールによって事後的に決定すると考えたようである。僕はこう書いていた。

家出のすすめ

人間失格

山地大樹

犬の自殺と人間の自殺

午前四時の川沿い、
犬は自殺するのだろうか?
犬は言葉を持たないから、
遺書を書くことができず、
自殺したことを証明できない。
人間は自殺するのだろうか?
人間は言葉を持つから、
遺書を書くことによって、
自殺したことを証明できる。
では、言葉を持った犬みたいな僕は?
言葉を持っているから、
遺書を書くことができるけれど、
犬みたいに生きているから、
遺書を書き損じている。
自殺のエクリチュール、
遺書を書くまで自殺は不可能。

季山時代
2023.08.31