アボカドのエロティシズム
アボカドのエロティシズム
眠れる美女とアボカド
二〇二三年九月五日。僕は眠れる美女をその隣で愛撫してゆく川端康成の小説を読んでいたから、その美女の表面性のエロティシズムと、アボカドという奇妙な物体を重ね合わせたのだろう。この小説に対して、三島由紀夫は、対象の肉体の肌のところできっぱりと踏みとどまること、この肌の表面にこそ真のエロティシズムが生じると述べていたのを想起した。愛撫という箇所にはレヴィナスの影響がみられる。また、フロイトはヴァン・ホーテンのココアを性的に解釈していたことを考えるならば、突如として頭に浮かんだアボカドという言葉にも、なんらかの機知が隠されているかもしれない。僕はこう書いていた。
山地大樹
アボカドと思春期
スーパーに入ると一番はじめに眼に飛び込んでくるのは、いつもアボカドである。見れば見るほど不思議に思える緑の物体の表面には、紫色に変色した部分もあり、自然界のものとは思えない緑と紫の色の調和が、奇妙な存在感を放ち続けている。それだけではなく、艶々したスベスベの表面部分と、岩のようなボコボコした表面部分、両者が混ざり合って軽やかな生々しさを演出しているのも不気味である。アボカド周辺に漂い続ける神秘的な魅惑に惹かれない若者はおらず、若者はアボカドに群がる蠅のようである。
ねえ、アボカドっていいわよね。スーパーに行くと必ず値段を確認してしまうの。九十二円なんて安いものね。メキシコ産って書いてあるけれど、メキシコってどこにあるのかしら、きっと地球の裏側の暖かい場所なのでしょうね。そう、アボカドって柔らかく熟しているものが食べ頃なのよ。だから、一つずつ愛撫してして確かめなくてはならないの。なかを想像しながら、優しく、優しく。あら、これがよさそうね、これにしましょう。いい感じだわ。
アボカドと初恋
ふわふわの白い帽子を被った若い女性は、一つのアボカドを手にとって、買い物かごのなかへ加えてから、隣の若い男のほうを向き直して、可愛らしい声で言葉を紡いでゆく。
アボカドは皮を剥くのが大変なのよ。皮を剥くと手が汚れて、ねちょねちょして、うまく掴み取れないの。掴もうとすればするほど逃げてゆく夢みたいなものね。柔らかい奇妙な感触は、ほかの果物にはない儚さがあるわ。皮を剥いて半分に切ると、柔らかい果実の奥に、硬くてまあるい種がひとつ、お相撲さんみたいに居座っているの。どっしりと、貫禄をもった岩みたいで可愛らしいわ。あ、そうだ、今日は美味しいワインも残っているから、アボカドを生ハムでくるんで一緒に食べましょう。これが最高なのよ。アボカド甘い感触が生ハムの塩気と調和して、口のなかで音楽が流れるの。とろけて、とろけて、余韻を残して消えてゆくの。初恋みたいね。
季山時代
2023.09.05

