建築の三条件
建築の三条件
建築のコンペティション
二〇二三年九月八日。僕は、コンペに提出する建築の構想を練っていた。このとき、問題となるのは審査員にどう評価されるかであるが、なぜ審査員は評価軸を明示しないのだろうか、と不思議がるのは間違いではないだろう。審査員をするからには、審査員のスタンスの表明が不可欠ではないだろうか。そのスタンスに責任が生じるのではないだろうか。僕は貧乏ゆすりを止めることができないまま、机に向かっていた。僕はこう書いていた。
山地大樹
用・強・美
建築はいかに評価されるべきか。古代ローマの建築家であるウィトルウィウスは「用・強・美」の三条件をあげたとされるが、これは現代において適応されるだろうか。用、あるいは快適さという側面は、空調や照明という技術の発明によって自明なものとなった。強、あるいは構造という側面は、構造解析などをあげるまでもなく、自明なものとなった。地震で崩れる建物など論外である。現代において、用と強の側面は建築の条件として挙げるまでもない前提条件となっている。だから、これらを建築の条件などと主張することは、端的に無意味だと言わざるを得ない。残されたのは、美の側面だけである。美の側面とはなにを意味しているのだろうか。いずれにせよ、建築の三条件を再考しなくてはならない。重要だと思われるのは、建築を建築たらしめる条件は、三つではなくてはならないことである。アルベルティにせよ、パッラーディオにせよ、三位一体的な条件を提示することによって、建築の意味が固定化されることが防止されていることを見逃してはならない。歴史を見るならば、建築の条件は三つ必要だということは確からしい。
建築をいかに評価するか
建築をいかに評価するべきだろうかという問いに対して、新しい三つの評価軸を提案してみたい。たとえ仮の条件であっても、評価軸を明言することは建築に関わる人間の責務である。もし条件に不備があれば修正すればよいだけの話であり、評価軸を打ち出さないのは責任から逃げているに見える。さて、私が提案するのは、「愛・美・ロックンロール」の三つの条件である。個人的な印象では、これら三つの条件のうち二つを満たした建築は名建築と呼ばれ、三つの条件をすべて満たした建築は後世に残されるほど、最高の評価を与えられるべきである。だから、こう問わなくてはならない。その建築に愛はあるだろうか、その建築に美はあるだろうか、そしてその建築はロックンロールだろうか。これらの三つを常に念頭において設計作業を営むことによって、優れた建築が産出されることが期待される。簡単に素描しておこう。
建築における愛
建築における愛。これは、建築における人間的な側面だと言える。たとえば、ガウディの自然に対する愛、コルビュジエの人間に対する愛、ゲーリーの魚に対する愛、など列挙するならば無限に挙げられる。愛のある建築に訪れると、優しい雰囲気に包まれて、人間味を感じることができる。建築における愛は、建築をつくった建築家が建築を愛しているかに依拠している。曖昧なことは重々承知だが、建築家が愛をもって設計しているならば、確かに建築に愛を感じることができる。
建築における美
建築における美。これは、建築における秩序的な側面だと言える。たとえば、パルテノンのギリシア的な秩序、コルビュジエのモデュロール的な秩序、ミースの数学的な秩序、など列挙するならば無限に挙げられる。美しい建築に訪れると、神秘的な雰囲気に包まれて、秩序を感じることができる。建築における美は、建築をつくった建築家が建築を整えようとするかに依拠している。曖昧なことは重々承知だが、建築家が美をもって設計しているならば、確かに建築に美を感じることができる。
建築におけるロックンロール
建築におけるロックンロール。これは、建築における社会的な側面だと言える。たとえば、磯崎新の反建築的なロックンロール、アーキグラムのユートピア的なロックロール、篠原一男の住宅的なロックンール、など列挙するならば無限に挙げられる。ロックンロールのある建築は、社会に対して批評性をもち、後の世代に参照される。建築におけるロックンロールは、建築をつくった建築家がみずからを位置付けようとする態度に依拠している。曖昧なことは重々承知だが、建築家が態度をもって設計しているならば、確かに建築に態度を感じることができる。
建築における愛・美・ロックンロール
簡単な素描だけにとどめるが、これらの三条件を満たすのは相当に難しい。愛の側面だけ追い求めるならば、単なる趣味になってしまう。美の側面だけ追い求めるならば、味気ないものになってしまう。ロックンロールの側面だけ追い求めるならば、自己満足になってしまう。これらの三条件のうち、少なからず二つは必ず満たすように、そしてもし可能ならば、三つを満たすような建築をつくれれば栄誉である。僕は、こうした評価軸で建築を見ていると宣言しておこう。
季山時代
2023.09.08
