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コンドームの存在論

二〇二四年一月八日

コンドームの存在論

マラルメのマンドール

二〇二四年一月八日。僕は、マラルメと音楽についての分析を読んでいた。とりわけ、分析におけるマンドールの解説が印象的だったらしく、僕はマラルメのマンドールについて詳細に調べていた。マンドールは不在の腹部でありながら、美しい音楽を産出するという不思議な比喩である。僕がコンドームについて書いていた理由を推測すると、第一に気がつくのはマンドールとコンドームの音の響きの類似、第二に気がつくのは不在ながらに美しい響きを産出するという機能の類似である。僕は必然的にコンドームに導かれたのだろう。僕はこう書いていた。

マラルメと音楽

山地大樹

コンドームは矛盾した存在である

コンドームは生まれながらに矛盾した存在である。コンドームは零ミリをめざさなくてはならないが、決して零ミリになってはならない。消失という死にむかって歩き続けなくてはならないが、その役割を果たすためには決して死を迎えてはならない。ぎりぎりまで死へ接近すること、みずからの存在が消失する寸前まで歩き続けること、これがコンドームの存在価値である。死への不安を抱えながら、その不安から逃げることなく、みずからが消失することを願うコンドーム。コンドームほど美しい存在はない。

コンドームは中性化を求められる

コンドームは消失という死にむかって薄くなるばかりではない。みずからの厚みをすり減らすばかりではなく、みずからの性格すら消さなくてはならない。たとえば、匂い。ゴムという素材でつくられながら、素材の匂いは完全に否定されなくてはならない。匂いだけではなく味や色や感触など、あらゆる性格を失うことが求められる。少しでも個性を出すならば、すぐに存在感を放ってしまうからである。もし存在感が出たならば、徹底的な存在否定の言葉が投げかけられる。

生に比べたら気持ちよくないです。もっと薄くできないものでしょうか。

ゴム感が気になってしまいました。もう少しゴム感がなければ嬉しいです。

独特なゴムの臭いが手について取れません。

コンドームに放たれた心ない言葉達を見ると、哀しい気分になる。こうした存在否定をされながらも、折れることなく、健気に生きようとするコンドーム。コンドームほど美しい存在はない。

死への不安からの逃走

みずからが消失するという死に向き合うこと。この死の不安に耐えられず、個性を出しはじめるコンドームもいる。コンドームの神経症とでもいうべきだろう。つぶつぶ感を出しはじめたり、お洒落な色で着飾ったり、メントールを配合させて冷たくさせたりする。きわめつけは、極厚という個性を見出し、みずからの存在価値を真っ向から否定するコンドームも現れはじめる。ここまでいくと、コンドームの精神病とでもいうべきである。しかしながら、個性を押し出したコンドームの寿命は少なく、結局のところ飽きられてしまう。やはり、死への不安から逃げずに死へと走り出すコンドームの美しさに叶うものはない。コンドームのように美しくなりたい。

季山時代
2024.01.08