コンドームシティ
コンドームシティ
コンドームの都市のイメージ
二〇二四年一月二十二日。僕は、コンドームが地面を覆い尽くすような都市のイメージが浮上するのを感じていた。多分、コルビジュエの輝ける都市のイメージと、ガウディのニューヨークのホテル案のイメージが重なりあって、一つの音楽を奏でたのだろう。コルビジュエの男性的な態度に、ガウディの女性的な形態を被せたものが、コンドームの比喩なのだろうか? また、キリコの絵画に出てくる女性の純粋がその隙間を歩いてるのも奇妙である。母親殺しというのは阿闍世コンプレックスと関係あるのだろうか。そういえば、心に残っているコインロッカー・ベイビーズにも母親殺しという同様な主題が見出せるかもしれない。僕はこう書いていた。
山地大樹
一枚の新聞から
二〇XX年一月二十二日。澤田直宏(無職男性・三十二歳)は殺人罪で逮捕された。両親の実家に寄生していた無職の澤田に対して、社会で働くように父親が説得した際、部屋にあったガラス製の花瓶で父親の顔面を強打した後、鋭利なドライバーで全身を複数回、執拗に刺して殺害。殺害現場は二階の澤田の個室の手前の階段の踊り場。物音に驚いて駆けつけた母親に対して、同じくドライバーを用いて殺害した。叫び声を不審に感じた隣家の住人が警察に通報したことで発覚。警察官が訪れると、血塗れの両親の死体が階段したに転がり落ちていた。澤田は血塗れのまま部屋で平然と作業をしていたが、警察官が部屋に足を踏み入れようとしたところ、俺の部屋に入るなと一喝。部屋から出てきた澤田は犯行を自白、逮捕に至る。父親の育児への無関心と、母親の過保護という家族関係の崩壊から生じた殺人だと精神分析家は説明している。この事件の異常な点は、両親を殺害した澤田の部屋の風景である。畳敷きの床一面に、空気で膨らんだコンドームが所狭しと敷き詰められていた。検察は犯行に及んだ動機を調べている。
コンドーム男を追いかけて
渋谷駅の公衆トイレに駆け込んだ澤田直宏は、嫌な匂いが立ち込めるなか、一枚の新聞が落ちているのを発見して戦慄した。みずからと同姓同名、同年齢の男が逮捕された記事が掲載されていたからである。逮捕された男は、両親を殺害して、部屋の床一面にコンドームを敷き詰めているらしい。もしかしたら、新聞に掲載されている男は自分自身なのではないかと一瞬だけ不安になるが、澤田には両親を殺した記憶もないし、コンドームを敷き詰めるなどという不気味な趣味を持っていない。しかしながら、なぜコンドームを床に並べるのだろうか、気になって仕方がない。コンドームが床に並べられている風景が、頭から離れないのである。そこで、かつて警察官をしていた澤田は、この事件の真相を独自に調査をしてみることにした。コンドーム男を追いかける探偵業を開業したのである。探偵業は順調に進んで、すぐに逮捕された男の住所を突き止めることに成功し、そのままの勢いで自宅に訪問することを決めた。
コンドーム男の自宅にて
澤田はコンドーム男の家の前にいる。住宅街にあるごく普通の住宅であり、どこか見慣れた印象を受けた。慣れた手つきでインターフォンを押すと、年齢を重ねた女性らしき声が聴こえてくる。
何か御用ですか?
警察官の澤田と申します。以前ここに住んでいた澤田直宏という男について、少しお話伺いたいのですが、よろしいでしょうか?
どうぞ、お上がりください。
高齢の女性の足音が近づいてきて、玄関の扉がガラガラと音を立てて開かれると、長い廊下が奥へと続いているのが見えた。廊下には、幾つかの扉と小さな階段があり、古い木造の仕上げの割りに綺麗に整えられていた。女性は不審そうな眼で澤田を見つめていたが、菓子折を渡して丁寧に挨拶を済ませると、一階の小さな和室に澤田を案内して茶を入れた。お茶を片手に適当な世間話をしたあと、本題のコンドーム男の話へと踏み込んでゆく。
以前、この家に住んでいた澤田直宏という男をご存知ですか?
はい、勿論、知っています。
答えられる範囲で構いませんが、どのような御関係ですか?
私、澤田直宏の母です。
澤田は戦慄した。寒気が全身を通り抜けて、背中から冷汗が溢れ出した。あの男の母親は殺されたのではなかったか。もしそうならば、目の前の女性は誰か。本当に母親ならば、新聞記事は嘘だということになるが、調べた限りでは正しい情報で間違いない。だとしたら、まったく赤の他人だろうか。いや、こんな平然な顔で嘘をつけるはずはない。あるいは幽霊だろうか。澤田は戸惑いながら尋ねる。
澤田さんの母親というのは、いったい、どういう御関係で? いや、その、澤田さんの母親は殺害されたと、聴いてい
私、澤田直宏の母だと言っております!
質問を中断しながら答えた高齢の女性の眼は、威嚇した動物のように瞳孔が開いて、赤く血走っていた。普通じゃない。殺されると感じた澤田は恐ろしくなり、思わず小便を漏らしてしまう。高齢の女性はすぐに小便に気がついて、コンドームを付けないから床が汚れてしまったよ、と震えながら泣き出した。澤田は、皮膚に触れた小便の暖かさで冷静さを取り戻した。この女性は普通ではない。異常だ。この時空間は蝶番が外れている。これ以上ここに居てはならない。この女性の機嫌を損ねないように、この場所から立ち去らなくてはならない。
澤田さんのお母さん。今日はお忙しいなか、お時間を取ってくださりありがとうございました。汚れてしまった畳については、後日、新しいものにお取り替えいたします。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。それではお暇させて頂きます。ありがとうございました。
澤田は、泣いている女性にハンカチを渡してから、逃げるように和室を後にした。平静を装いながら玄関にたどり着き、急ぎ足で革靴を履いて出ようとするが、鍵が開かない。がちゃ、がちゃ。何度やり直しても鍵が開かない。閉じ込められたのかもしれない。玄関に向かって女性の足跡が聞こえてくる。女性がこっちに来ている。殺されるかもしれない。女性の顔が見える。メイクが崩れて黒い涙が流れている。がちゃ、がちゃ。開かない。開かない。女性は薄笑いを浮かべて、直宏、その鍵いま調子悪いの、と呟いている。よく見ると、手には何かが握られている。小型のドライバーだ! まずい、コンドーム男に殺害された復讐かもしれない! 殺される! がちゃ、がちゃ。玄関の扉が開かないと確信した澤田は、廊下の方へ向かって走り出した。逃げ道は、もう階段くらいしか残されていない。階段を登って、二階の部屋から飛び降りて脱出するしかない。踊り場まで駆け上がり、一つしかない扉を開けようとすると、叫び声が聞こえる。
あ、駄目! その部屋は!
美しきコンドームシティ
澤田は驚きのあまり停止した。部屋のなかには異常な光景が広がっていたからである。床一面にはコンドームが敷き詰められ、個室の窓から射す光を浴びて、海月の大群が海を泳いでいるかのようである。一つ一つのコンドームは丁寧に膨らまされたまま床に固定され、天井に向かって伸びている。透明なコンドームが群生するなかで、蛍光色のコンドームや真黒なコンドームが彩りを添えている。つぶつぶがついているコンドームや、奇妙なかたちをしたコンドームもあり、コンドームが群生する高原を感じさせる。壁にかけられた一枚の段ボールには《コンドーム・シティ》と赤字の太い油性ペンで書かれていた。よく見ると、コンドームとコンドームのあいだには無数の黒い影がみえた。手に車輪のようなものを持って駆ける少女の影である。これには見覚えがある。ジョルジョ・デ・キリコの『通りの神秘と憂鬱』に描かれた少女で間違いない。多分、コンドーム男は、キリコの絵画を印刷して切り抜いたに違いない。無数の純粋な少女が、コンドームの隙間を縫って駆けている様子ほど美しいものはない。
澤田は、息を飲む美しさを感じるとともに、懐かしい気持ちを覚えた。この風景は、あらゆる人が心の奥底に抱えている原風景だと確信した。これを破壊するわけにはいかない。俺の部屋に入るなと一喝したコンドーム男の声が、耳の奥のほうに聴こえてくる。澤田は、部屋に入るのを躊躇した。後ろからは、ドライバーを握りしめた女性が階段を登ってくる。澤田は階段の方向を向くと、俺の部屋に入るなと一喝して、女性からドライバーを取り上げて喉元と胸部向かって五回ほど刺した。ドライバーは頸動脈に食い込んで、女性は鶴のような泣き声を出して、血を噴き出しながら階段を転がり落ちた。ラスベガスの噴水ショーのように美しかった。澤田は返り血で血塗れになったが、無意識のうちに部屋のなかに入り、コンドームを膨らます作業を開始していた。澤田がコンドーム男その人だったのである。コンドームシティの監獄である押し入れのなかからは、ドライバーでチーズのように穴が開けられた血塗れの父親が、顔を覗かせていた。
季山時代
2024.01.22
