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湿潤滑走路

二〇二三年八月二十九日

湿潤滑走路

超高圧路面清掃車

二〇二三年八月二十九日。僕はテレビ番組で、超高圧路面清掃車が空港の滑走路を掃除する映像をみていた。滑走路には、グルービングと呼ばれる細い溝が筋状に掘られていて、その溝が飛行機のスリップを防止しているのだが、飛行機が着陸するとき、タイヤと地面の摩擦熱によってタイヤが溶け出した結果、溝が詰まって危険が高まる。だから、定期的にタイヤゴム痕の除去をしなくてはならず、飛行機が飛ばない夜の時間帯に除去作業は行なわれるという。従来、除去作業は大変な労力を伴うものだったが、超高圧路面清掃車が開発されてから飛躍的に効率があがり、わずかな時間で滑走路が綺麗になるらしい。超高圧路面清掃車は、超高圧水を噴射するという単純な力技なのだが、僕は高圧水の勢いに感嘆していたようで、手元のメモに「乳搾りのごとく、神聖な作業」と書きこんでいた。ところで、僕が書いている文章のテーマは明らかに湿潤と乾燥の弁証法だろう。二〇二三年八月二十七日の『かえるの唄とかめの唄』との類似性も確認できる主題である。そこに、偶然と必然が重ね合わされているのも興味深い。また、カエルが僕によって重要な役割を占めているのはいずれ分析されなくてはならない。僕はこう書いていた。

山地大樹

湿潤滑走路

月が綺麗な夜。濡れた滑走路、水溜りだらけの湿潤状態の路面が僕の前面に拡がっている。宏大な灰色の滑走路のうえ、橙色の大型機械に初老の男が一人、運転しながら路面を乾かしている。男の顔はよく見えないが、年季の入った労働者であることは間違いない。アスファルトのうえ、黄土色の僕は大型機械の正面に立ち塞がり、労働者に声をかけなければならない。

君、その路面を乾かさないで。

何を言ってるんだ! 大雨の後は車輪が滑って危ないだろう。湿潤は死を呼び寄せてしまうぞ。路面は乾燥させなければならない。

別に事故に遭おうが、事故が起ころうが構わない。死ぬのは何も怖くないし、誰かが死のうが興味すらない。ただ、死ぬとか死なないとか、そんな重要なことを君が操作しようとすること、この気持ち悪さに耐えられない。その作業を今すぐ中断してくれないか。

何を言ってるんだ! 大雨の後は路面を乾かすって決まりなんだ。仕事の邪魔をしないでくれ。本当のことを言えば、俺は乗客が死ぬとか死なないとか考えたことなどない。雨が降ったら路面を乾かす、ただそれだけの仕事だ。そこに難しい理屈などない。路面は乾燥させなくてはならないというだけだ。分かったら、そこを退いてくれ!

いや、退かない。君がどう考えようと、君が僕の生死、そして乗客の生死を操作しているという事実が気に食わない。君が路面を乾かすことは、僕や彼らが偶然に死ぬ権利を奪うことだと自覚して欲しい。湿潤した滑走路のうえで僕らが偶然に滑り死ぬかもしれないこと、僕の偶然の死の可能性を君は奪っているんだ。分かるかい? つまり、僕らは偶然に死にたいってことで、君はそれを邪魔してるんだ。偶然を取り除く必要が何処にあるだろう。事故の可能性を万全に排除する意味が何処にあるだろう。もし事故が怒るのが嫌ならば、路面は自然乾燥に任せておいて、路面が乾いてから一日をはじめればよいだろう。わざわざ機械で乾燥させるのは罪悪でしかない。君は、今すぐ、その作業を中断しなくてはならない。

何を言ってるんだ! 俺がお前から何を奪ったっていうんだ。偶然に死ぬ権利だと? そんなものは最初からない。人は必然に死ぬんだ。決められた場所で、決められた時間に死ぬんだ。偶然など介入する余地はない。お前が湿潤した滑走路で滑り死んだとしても、それは必然であって偶然ではない。俺は生活のために仕事をしているんだ! 訳の分からないことを言ってないで、そこを退いてくれ! 早くしないと朝になっちまう!

いや、退けない! 人は偶然に死ななくてはならない。必然の死など詭弁だ。これだから労働者は嫌いなんだ。自惚れが強すぎて、すぐに偶然性を切り捨てる。だから、君は仕事終わりに賭博場で賭け事ばかりしているのさ。君らは仕事場では偶然を排除しながら、仕事ではない場所で偶然を希求している。でも、賭博場のは飼い慣らされた偶然であって、野生の偶然とは程遠い代物だ。賭博場では、偶然が必然のなかに含まれているんだ。僕はそれが許せない。逆でなくてはならないんだ。つまり、必然が偶然のなかに含まれていなければならない! 偶然を飼い慣らすのではなく、必然を飼い慣らすんだ!

何を言ってるんだ! お前の訳の分からない理屈などうんざりだ! これ以上の邪魔するならば、今すぐ轢き殺すぞ! そこを退け!

殺せ! 殺せるものなら殺してみろ! 偶然万歳! 偶然万歳!

本当に轢くぞ! 退け、馬鹿野郎!

顔を赤くした労働者は、アクセルペダルに思い切り体重をかけたが、ペダルは硬くて微動だにせず、大型機械は前進しなかった。アクセルペダルと床面のあいだに一匹のカエルが挟まっていたからである。挟まれたカエルは苦しそうな鳴声をあげて、静かに息をひきとった。カエルは偶然に殺されて、男は必然に生き延びたのである。

季山時代
2023.08.29