Archive Walker

不思議な紙と美しい音 試験管と彫刻の涙他

日々の記録

依頼者様へ。お世話になっております。二〇二四年度、一月二十八日から一月三十一日までの調査報告になります。ご参考いただければと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

二〇二四年一月二十八日

たんぽぽのように美しく

金子みすゞに魅せられて

二〇二四年一月二十八日。僕は金子みすゞの童謡を読みながら、それらの言葉が紡ぐ綺麗な雰囲気に魅せられていた。とりわけ印象的だったのは、昼の星が見えないという箇所と、天使の足が踏むところに花がひらくという箇所であり、僕は執拗に線を引いていた。また、僕が書く文章をみると、二〇二四年一月十三日の『シャンプーと泡帽子』という記録において、シャンプーという言葉を、シャンとプーという二つの語の響きに分解していたことを想い出す。シャンプーも、凛々しい音のあとに気が抜けた音が続くだろう。僕はこう書いていた。

金子みすゞ童謡集

山地大樹

たんぽぽのように美しく

たんぽぽという言葉が美しいのは、たん、という強い音のすぐ後に、ぽぽ、という気の抜けた音が続いて、あたかも綿毛が飛んでゆくような雰囲気が溢れ出しているから。地面を跳躍して空へ羽ばたく赤子を想起させる美しい言葉。そんな飛んでゆくイメージと裏腹、たんぽぽの足下の地面には黒い根っこが長く伸びている。別離するのは綿毛ばかりで、鎖に縛られた母親は地面から離れられず、腐るのを待ち詫びた抜け殻になる。死から生への羽ばたきに、黄色い花を添える母親から、儚く懐かしい夢の匂いが、ふわりふわりと立ちのぼる。

季山時代
2024.01.28

二〇二四年一月二十九日

試験管と彫刻の涙

理科室のイメージ

二〇二四年一月二十四日。僕は、机に向かって座り続けていたのだが、ドリップしたカフェインレスコーヒーの滴を涙のようだと思ったのだろう。また、理由は不明だが、理科室のイメージが僕の頭から離れなかったことを指摘しておきたい。筒井康隆の描く理科室のイメージだろうか。僕はこう書いていた。

時をかける少女

山地大樹

涙を流す彫刻

ある雨の日、美術館の庭の彫刻が涙を流していた。この彫刻の過去も苦悩もなにも知らないが、苦しいのか悲しいのか、なにかしらの感情が胸のうちを渦巻いて溢れてきたのだろう。彫刻の気持ちを想像しようとするが、人間ならともかく、彫刻の気持ちなんて検討もつかない。それでもなにか出来ることはないかと、分かるよ、と声をかけながら手拭いを顔に当てると、彫刻は少しだけ微笑んだ気がした。所詮、人間は彫刻の気持ちなど知ることができないと思っていたが、人間と彫刻のあいだにの深い溝のうえには、小さな優しさで橋をかけることが出来るのかもしれない。けれども彫刻が泣き止むことはなく、しばらくすると、涙は手拭いのすべてを濡らして、飽和した手拭いの端から滴がこぼれ落ちはじめた。涙は手拭いの端から、ぽつぽつと地面に吸い込まれていった。地面に消えてゆく涙を見ていると、なんだか涙が勿体無い気がしてきたから、小さな虫を捕まえようと持ってきていた試験管の蓋を開けて、彫刻の涙を溜めてみることにした。

試験管に涙を溜める

手拭いを彫刻の顔から外して左手にコルクの蓋を持ち、右手の試験管で彫刻の涙の採取を始めることにした。彫刻は驚いてこちらを見ていたが、抵抗をすることなく涙を流し続けていた。顔を流れる涙が顎まで伝ったところに、試験管を待機させると、鍾乳洞を滴り落ちる水のような澄んだ涙が一滴、試験管の側面を伝ってゆく。その流れゆく一滴の涙に、雲の隙間から顔を覗かせた太陽の光が射しこみ、きらきらと美しい輝いていた。試験管に数滴の涙が流れ落ちて、四分の一ほど溜まったところで彫刻は泣きやんだ。もう大丈夫だよ、という彫刻の声が聴こえてきたから、よかった、なにもしてあげられなくてごめんね、と話しかけると、彫刻は沈黙の空気に囚われたように静止して動かなくなった。夢か現実か分からないまま、涙の溜まった試験管を家に持って帰った。

アルコールランプと試験管

家の古びた机の前に腰掛けて、試験管のなかの液体を見ていると、なんだか綺麗な宝石のようで癒された。彫刻の苦悩の結晶だからだろうか。木製の窓枠を通して入る光が試験管の涙に射しこみ、虹のような影を落とすと嬉しい気分になり、みずからの顔が涙の表面に反転して映し出されると悲しい気分になったりした。この試験管を数日にわたって飾っていたのだが、たとえコルクの蓋をしていても次第に蒸発してしまって、徐々に少なくなっていく彫刻の涙を見ていると、自然に蒸発して完全になくなるより先に、みずからの手で蒸発させてしまうべきだという考えが浮かんだ。彫刻の涙を保存しておくよりも、その涙を供養したほうがいいのではないか。そこで、古びた抽斗からアルコールランプを取り出して机に置き、蓋を外し、彫刻の顔を想いながら、今から僕と君にとって大切なことをするよと小さく呟いた。錬金術の儀式のようで、好奇心が胸を覆い尽くした。

アルコールランプと試験管

アルコールランプの先端、もわもわした白い毛にマッチを近づけてゆくと、ぼうっという音と同時に橙色の光が小さく灯った。数年前の誕生日ケーキの蝋燭を想い出して懐かしい気分になりながら、涙が入った試験管を右手でそうっと近づけてゆく。少しだけ熱い。二〇秒程の沈黙が続いたあと、彫刻の涙はボコボコと泡を立てて沸騰して、試験管のなかは空洞に近づいていった。彫刻の涙が水蒸気になって空気に溶解してゆく。彫刻の苦悩を想いながら、大きく深呼吸してみると、彫刻の気持ちが分かる気がした。彫刻がなにを感じて泣いていたのかは分からないが、確かに彫刻の感情を共有できているような不思議な気分だった。ねえ、君の涙は世界中の空気のなかに溶け込んだよ、と呟いてアルコールランプに息を吹きかけて蓋をした。優しい灯火が消えて、暗い部屋が現われて、一人ぼっちになったから、少しだけ悲しい気分に襲われて涙が出てきたが、彫刻の涙が溶解した空気を吸っていると考えると、心が休まり涙は止まった。この涙も自然に蒸発して消えてゆく。きっと世界中の空気には、知らない人の涙が混ざっているのだろう。

季山時代
2024.01.24

二〇二四年一月三十日

黄色いバスケットボールが弾けて消えた

檸檬の連想

二〇二四年一月三十日。僕は、紫と黄色のイメージに囚われていた。そこから連想されるのは、ムラサキスポーツのロゴである。ムラサキスポーツからバスケットボールの連想にたどり着くのは苦ではない。ひとつ想い出したのは、学生時代に一つのボールが道路に転がり出して、車に轢かれて、弾けて消えたのを見たことである。その印象が残っていたのだろう。また、黄色いバスケットボールが爆発する檸檬の印象に結びついたのかもしれない。燈路のトマトがどこから出てきたのかは不明である。僕はこう書いていた。

檸檬

山地大樹

紫の少年と黄色いバスケットボール

青空が澄みわたる火曜日の朝。近所のスーパーで買い物をしたあと、一匹の白い猫を追いかけて開かれた公園にたどり着いた。公園には古びたバスケットゴールが設置されていて、蜘蛛の巣のようにボロボロのゴールネットと、唇のようにピカピカなゴールリングが、電波塔のようにゴツゴツした脚で支えられていた。数学的な比例に準じて設計されたであろう工作物は、古い映画のポスターに出てきそうな匂いがした。気が付くと、一人の紫色の少年が何処からかやって来て、夢中になってボールを投げはじめていた。入ったり入らなかったり、リングにあたって予期しない方向にボールが転がって行く様子が、平日の朝に特有の穏やかさを演出していたから、絵になりそうな平凡な風景だボオッと眺めていると、リングにあたって跳ね返ったボールが足下に転がってきた。ボールを拾おうと腰をかがめると、ボールに釘付けになって全身が硬直した。この世のなによりも黄色かったからである。そのボールは、エナメル素材でできているのか、光を反射してとてもギンギンに輝いている。嫌らしい黄色ではなくて、本に蛍光ペンで線を引いたときのような澄んだ黄色で、あまりに美しさに驚いた。

ドリブルと黄色い線

紫色の少年はこちら駆けより、黄色のボールを拾いあげて恥ずかしそうに笑ってから、バスケットゴールへと引き返した。綺麗な顔の少年だと思ったのも束の間、少年が後ろを向いた時には顔は忘れてしまっていた。残されたのは、綺麗な顔だという印象だけである。木陰のベンチに座りながら、黄色いバスケットボールが弧を描いたり、ゆっくり跳ねたりするのを目で追っていた。いつのまにか、白い猫は何処かへと消えていた。少しだけ時間がたった後、紫色の少年がベンチに向かって歩いてきて、隣を指さしながら「ここ座っていい」と尋ねた。いいよ、という答えを待たずして少年は腰かけた。特に言葉は流れない沈黙のまま、風が緑を揺らす音が心地よく響いていた。心地よい沈黙をそうっと捲るように、「僕はバスケがうまいんだ。 学校では一番なんだ」と少年が口を開いて、ベンチに座りながらボールを突きはじめた。ドリブルの速度がはやくなるにつれて、黄色いボールは一本の黄色い太い線へと近づいていった。

爆発するボール

一定のリズムを刻んでいたドリブルの音が不意に途切れた。少年の靴にボールがあたって違う方に転がったのである。あっ、という声が響いた。みずからが発した声なのか、少年が発した声なのか分からなかった。ボールはコロコロと転がって、草むらの隙間を抜け、歩道の白線を跨ぎ、ガードレールを越え、道路のうえに飛び出し、ちょうど走ってきた車にぶつかり、パンッと乾いた音を立てて弾けて消えた。時間が止まったようだった。車は、ボールにぶつかったことにすら気づかず、そのまま走り抜けて行った。数分の沈黙が流れたあと、「あのボールお気に入りだったのに、消えちゃった」と少年は悲しげに呟いた。言葉を返す代わりに、スーパーのレジ袋から赤いトマトを取り出して、バスケットゴールに向かって放り投げた。冬の爽やかな快晴の空のうえ、トマトは滑らかに弧を描いてゆく。少年はトマトを目で追っている。トマトはゴールに届くこともなく、徐々に勢いを増して地面にぶつかり、パンッと音を立てて弾けた。あのトマトはハヤシライスに入れるはずだったんだ、と少年に声をかけると、悲しいね、と少年は嬉しそうに笑った。少年の頬は赤く染まっていた。

季山時代
2024.01.25

二〇二四年一月三十一日

不思議な紙と美しい音

グラデーションと不思議な紙

二〇二四年一月三十一日。僕はウェブサイトのデザインをしながら、ウェブが可能にした新しい表現は滑らかに動くグラデーションだと確信していた。もし、それが現実世界に飛び出てきたらどのようになるのか、を想像していたのである。また、阿部謹也のハーメルンの笛吹き男の興味深い分析を読んでいたこともあり、その影響もあると考えられる。僕の書いた文章を見てみると、美しい世界を大衆に共有することへの罪意識が描かれている。結局のところ、こうした罪意識が産み出した帰結は誰一人幸せにしないのだろう。僕はこう書いていた。

ハーメルンの笛吹き男

山地大樹

不思議な紙を拾う

あく日、街を歩いていると、一枚の不思議な紙が風に吹かれて飛んできました。飛んできた紙を拾いあげると、グラデーショナルな淡色が移り変わってゆき、目を疑うほどの美しさに息を呑みました。僕は、その紙をそうっとポケットにいれて持ち帰ることにしました。そわそわしながら家に帰り、紙をまじまじと観察してみると、そこには十二個の細長い穴があけられていました。十二という数字に何か意味があるかもしれないと辞書を開くと、シェーンベルクの十二音技法にたどり着いたので、この紙は天国から落ちてきた楽器なのかもしれないと感じて、試しに指で弾いてみましたけれども、とりたてて何の音色も奏でることはありませんでした。これが楽器でないなら何だろうと溜息をついたそのとき、突然、天使の声のような澄みきった音が響きわたりました。あまりの美しさに身体が喜んで踊りはじめました。どうやら、穴のなかに空気を通過させると鳴る楽器のようでした。

音を鳴らしながら街を練り歩く

それからというもの、不思議な紙を抽斗のなかに大切に保管して、なにか嫌なことがあるたびに、抽斗をあけ、息を吹きかけ、楽器の音色を聴くという習慣ができました。この音色を聴くと不思議と優しい気分になれるからです。そんな日々が続いた数年後、僕はこの音色を世界に響かせようと考えました。そうしたら、世界中が優しい気分に包まれて、戦争も暴力もなくなると考えたからです。そこで、手のひらより少しだけ大きな音のメガホンを用意して、その増幅装置に向かって音を鳴らしながら街を練り歩きました。街中に優しい雰囲気がひろがって、人々は笑顔になりました。しかしながら、人々のなかには耳が悪い人もいるもので、街中が笑顔になっているなか一人だけ笑顔になれないことに疑問を感じて、俺も音を聞きたいと泣きはじめました。僕は、その男にも綺麗な音を聞かせてあげたかったのですが、耳を治癒することなどできず、結局のところ帰るしかありませんでした。男は、そんな素敵な楽器をどこで手に入れたのか教えてくれよ、とぶつぶつ言いながら悲しそうに家に帰りました。

不思議な紙を捨てる

その日から、耳の悪い男の悲しそうな顔が頭から離れませんでした。みんなに綺麗な音を聞かせてあげたかっただけなのに、その気持ちによって一つの悲しさを産み出してしまったのです。僕は、耳の悪い男の顔を想いながら、不思議な紙を捨てることを決めました。こんな与えられた紙一枚で世界を平和にしようなんて、不公平で不誠実だと考えたからです。勿体無いという気持ちを押さえながら、不思議な紙をびりびりに破いて護美箱ごみばこに放りこむと、耳の悪い男と同じ気持ちになれたようで、少しだけ嬉しくなりました。それから数日経って街を歩いていると、あの綺麗な音をまた聴かせて欲しいと街の人々に要求され、不思議な紙は捨ててしまったことを説明すると、あんな綺麗な音をする紙を捨てるなんて罪悪だと、拘束され、連行され、すぐに死刑が決まりました。罪状は与えられた不思議な紙を捨てたことでした。僕は、死刑の直前、見物に来ていた耳の悪い男が笑っているのが見えました。世界はなんて醜いのでしょうか。

季山時代
2024.01.31