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遮蔽想起について ジークムント・フロイト 読書の記録

『遮蔽想起について』はジークムント・フロイトによって一八九九年に発表された論文である。人文書院の『フロイト著作集 第六巻』、岩波書店の『フロイト全集(3)』などで読める。ここでは、岩波書店の全集のなかの『遮蔽想起について』を読んでゆく。翻訳は角田京子が担当していて丁寧な翻訳で読みやすい。ここでは、本を読んだ内容と感想を記録してゆく。自分の言葉に直しながら、自分なりに改変して解釈していることも多いので、詳しく知りたい方は原著で読んでください。

『フロイト全集(3)』の表紙

遮蔽想起(隠蔽記憶)について子供の頃の記憶はどこへゆく?

この論文が書かれたのは一八九九年である。著者はジークムント・フロイト。幼年期の記憶を想い出す幼年期想起、そして論文のタイトルでもある遮蔽想起(隠蔽記憶)の概念が取り上げられる。これらの概念はフロイト思想において重要であり、『日常生活の精神病理』の第四章、『精神分析入門講義』の第十三講でも触れられている。フロイトが着目するのは、想起される幼年期の想い出が、どうでもよい些細な事柄であることが多く、重要な印象や情動を伴う事柄が忘却されているという発見である。この忘却のメカニズムが問われてゆく。適当な見出しを付けながら丁寧に記録してゆきたい。

子供の頃の記憶の内容は大したことない

幼年期想起とは、いわゆる子供の頃の記憶である。フロイト理論において、記憶というのは静的なものではなく、その都度に想い出される動的なものであるから、想起という名称が付けられている。まず語られるのが、一八九五年にアンリらによって行われた幼年期想起のアンケート調査である。その成果からフロイトが目をつけるのは、恐怖、恥、病気、死亡、火事などの印象が深く刻まれた記憶が見受けられるものの、かなり大多数において日常的で大して重要ではない事柄が想起された、ということである。とりわけフロイトの経験からすると、こうしたケースは非常に多いようで、「なぜ意味深長なものが抑え込まれ、どうでもよいものが保持されるのか」と問われる(全3-p331)

幼年期想起の心的メカニズム

この問いに対してフロイトは、二つの心的な力が想起を成立させていると答える。一方は体験の重要性を想起しようとする力、他方は体験の重要性を強調することに抵抗する力。両者の力の葛藤の結果として産み出された妥協の産物、これが想起される光景である。したがって、想起される光景は、体験それ自体ではないが、体験それ自体に何らかの経路を持っている。「子供時代のある体験が記憶のなかで真価を発揮するのは、例えば体験自体が黄金であるからというのではなく、体験が黄金の傍らに置かれているからなのである(全3-p333)。黄金は神々しすぎるから、直接見ると目が潰れてしまう。それゆえに、不快感のともなったものは遷移されて、月並みな事柄がばかりが想起される。

黄色いタンポポの幼年期想起、具体例の分析

ある男の幼年期想起

実際の具体例として、ある男の幼年期想起の分析がなされる。この男性はフロイト自身であると言われている。幼年期想起の内容を要約するとこんなところだろう。「緑豊かな牧場で三人の子供が遊んでいた。二歳頃の幼少期の頃の男自身、一歳年上の男の従兄、男と同い年の従妹。三人は黄色いタンポポを摘んでいた。そして、従妹が最も美しい花を持っていたから、二人して彼女を襲って花を奪い取った。従妹は泣きながら牧場を駆け上がり、牧場に建つ農家へとたどり着いて、農婦から大きな黒パンをもらった。幼い男と従兄はそれを見て、花を投げ出して農家まで走り、自分たちもパンをねだりにゆく。そうして得られた黒パンはとても美味しかった」と。何とも奇妙な幼年期の想起である。男は続けて、黄色いタンポポとパンの美味しさがやけに誇張されている気がするとも述べる。

ミレーの『たんぽぽ』
たんぽぽ @wikimediaジャン=フランソワ・ミレーが1867年から1868年頃に描いたタンポポのパステル画。ミレーの描く絵画の幻想的な感覚は、鑑賞者をを子供の頃へと巻き戻す不思議な作用がある。男性の幼年期想起は、このようなイメージだろうか。ダリもミレーの懐かしい感覚をフロイトを結び付けて、『ミレー「晩鐘」の悲劇的神話』という著作を書いている。

幼年期想起が生じた誘因、二つの空想

この想起に対してフロイトは解釈を仕上げてゆく。まず、この想起がいつ呼び起こされたのかを男に問い、男は二つの話を持ち出して答える。ひとつ目は十七歳の時の話。ある少女に深く恋をして「もし彼女と結婚していたら」と空想したことがあり、その彼女とはじめて出会った時、彼女が来ていた洋服が黄色であったという話。ふたつ目はその三年後の話。男は、裕福になっていた一歳年上の従兄と、同い年の従妹に再会する。そして、父と叔父のふたりが、従妹と男を結婚させる計画を練っていたことを知ったが、その時は男は学問に夢中になっていたため、結婚の話はなかったことにされたという。しかしながら、学問だけでは生活が困窮することを実感しているうちに、「もし従妹と結婚していたら」と空想したという話。

フロイトの解釈、遮蔽想起の定義

この二つ誘因を聞いたフロイトは「両方の空想はお互いの上に投射され、一つの幼年期想起がそこから作られました」と述べる(全3-p342)。二つの空想がが重ね合わさることで、幼年期想起が事後的に形成されたのである。「黄色いタンポポ」が少女を暗示し、「パンの美味しさ」が少女と結婚していたならば得られたであろう裕福さを暗示している。「パンのための学問」というシラーの言葉は有名であるが、生活の糧を得るためだけの学問だということを揶揄した言葉である。また、幼年期想起のなかにおける「パンと交換するために花を投げ捨てること」は、美味しいパンのために難解な学問を放棄して、従妹と結婚することを暗示している。このように、幼年期想起は創作されたものであり何かを象徴している。より一般化して、なんらかの本来の内容を象徴した想起のことを遮蔽想起と呼ぶ。

私は、その価値が、記憶において後の時期の印象と思考の代理をしていることにあるような想起を、その内容が、象徴的で類似した関係によって本来の内容と結びついているような想起を、遮蔽想起と命名したいのです。

フロイト「遮蔽想起について」

隠された性的な意味、幼年期想起の形成過程

さらに、「少女から花をもぎ取ること」が「処女を奪うこと」を暗示していると男は気が付く。要するに「彼女と結婚していたならば、結婚初夜をむかえられる」という無意識的思考があり、少女に対する慎みや尊敬が、この厚かましい無意識的思考を抑え込んだ結果、幼年期想起へと避難したのである。この想起は、無意識的思考に二つの変形を施したものである。一つは、不愉快なものを比喩的に表現すること、もう一つは、視覚的な描写が可能な形に押し込めること。

この分析は『夢解釈』における夢の仕事に類似するが、そうした変形を施されて幼年期想起は事後的に創作される。とはいえ、幼年期想起はまったくの白紙状態から創作されたものではなく、幼年期の想い出の痕跡である想起痕跡なるものがあり、そこに無意識的思考が押しこまれてゆくのだという。「幼年期の光景はただ彫刻されただけ」なのだと(全3-p346)。要するに、幼年期の光景は事実ではあるが、その光景は改竄を施されて幼年期想起として浮かびあがるのである。

遮蔽想起、逆行性と先行性

フロイトは遮蔽想起の定義を復習してこう述べる。「遮蔽想起の概念は、その記憶の価値がそれ自体の内容にあるのではなく、その内容と別の抑え込まれた内容との関係にあるような想起というものである」と(全3-p348)。そして遮蔽想起は、隠蔽するものと隠蔽されるものの時間的関係によって分類される。先ほど分析された例では、十七歳という後の体験が幼年期へと組みこまれるので逆行性を持つ。一方で、最近のなんてことない印象が想起されるが、実は以前の体験が組みこまれている場合は先行性を持つ。

この時間軸の区別は『日常生活の精神病理学』の第四章でも詳しく検討されている(∗1)。最後に、フロイトは論文をこう締める。「幼年期想起は言い習わされているように心に浮かんだのではなくて、その時に形成されたのである。歴史に忠実であろうとする意図からはほど遠い一連の動機が一緒になって、想起の形成と選択とに影響を及ぼしたのである」と。なるほど、歴史とは改竄かいざんされて、後から形成されるのだ。いずれにせよ、なかなか興味深い論文である、ぜひ一読されたい(全3-p348)

(∗1) 遮蔽想起の再検討

一九〇一年の『日常生活の精神病理学』の第四章において、時間的に大きくずれていない同時的、隣接的な遮蔽想起も考慮されている。「第三の可能性として、遮蔽想起がその内容のせいだけでなく、時間的な隣接ゆえもあってそれが遮蔽する印象と結びつけられている場合、すなわち同時的、ないしは隣接的遮蔽想起もないわけではない(全7-p56)

自分を外側から観察する視点自画像という想起

――本の感想と簡単なメモ書き

観察者は外側にいる

ここからは簡単なメモ書きであるから、読み飛ばしてください。あくまで単なるメモであり、気ままに書いた感想文です。個人的に興味深かったのは、想起における観察者の立ち位置が指摘されていることである。フロイトはこう語る。「意味深長で、それ以外には議論の余地のない大抵の幼児の頃の光景においては、人は想起のなかで子供として登場しており、その子供は自分自身であるということが分かっている。しかしまた、その子供を観察者が光景の外部から見ているような仕方でも見ているのである」と(全3-p349)。なるほど、重要な幼年期想起の場合、観察者は主観的な視点ではなく、演劇の舞台を見るかのように、客観的な視点に立って自分自身を見ているのである。

自画像という想起

ここで、想起と自画像の親近性を指摘したい。想起の主人公はいつでも自分自身であり、客観的な視点で自分自身を見ているのならば、自画像の主人公も自分自身であり、客観的な視点で自分自身を見ている。そして、自画像は言葉で語らない視覚的なものであると同時に、不愉快なものを描きたくないというナルシスズム的な表現の一つでもある。自身の顔を美しく改竄するのである。ただし、自分自身の顔から離れすぎては誰だか分からなくなり、自画像ではなくなってしまうから、その改竄にはある程度の限界がある。その結果、改竄は自分自身を飛び越えて風景にまで及ぶ。まるで、幼年期想起が自分自身ではなく、その周りの風景そのものを改竄していったように。自画像と想起にはかなりの親近性がある

アンリ・ルソーの『風景の中の自画像』

一つの例として、一八九〇年に描かれたアンリ・ルソーの『風景の中の自画像』という絵画を考えてみよう。つい最近、アンリ・ルソーの絵画を鑑賞する機会があり、フロイトの述べる幼年期想起にかなり近い印象を持ったからである(∗1)。この自画像は、通常の自画像とは異なる「肖像風景画 portrait-landscapes」と呼ばれるもので、ルソー自身が発明した様式とされている。他の絵画と異なるのは、自分自身を描くとともに、現実とも空想ともいえるような、改竄された風景が描かれていることにある。風景には、一見すると露骨な性表現などが描かれることもなく、言ってしまえば大したことない些細なモチーフだけが描かれるが、やけに鮮やかな色彩や、奇妙に歪んだスケール感は、想起の性質に類似する。

アンリ・ルソーの『風景の中の自画像』
風景の中の自画像 @wikimediaアンリ・ルソーが1890年に描いた絵画。正式な題名は《私自身、肖像=風景》である。明らかに大きすぎる画家本人、背景に潜む小さな小人たち、熱気球、エッフェル塔、背景には煙突が立ち並ぶ住宅がある。

当時、画家が自分自身を単独で全身描くものはなかったという。ここでは、ルソーに対して精神分析を行なう権利などないから、簡単な考察だけしてみたい。まず、背後の風景はパリなのだが、ルソーがパリを好んだのは生まれ故郷のラヴァルと似ていたからである。ここに太古的感覚が見られる。ルソーが立っている河岸は彼の職場である。凛と立つ大きな姿は、誰にも邪魔されないナルシシズムを意味している。後から書き加えられた胸のバッジは栄光を意味している。帽子は男性器の象徴であり、気球は勃起の比喩だろうが、色が失われているのは気になる点である。

ルソーが手に持っているパレットには一人目の妻である「Clémence」という名前、さらに二人目の妻である「Josephine」という名前が金色の文字で刻まれている。一人目の妻であるクレマンスは一八八八年に亡くなっていて、二人目の妻であるジョセフィーヌと再婚はしたのは一八九九年の九月である。絵画が描かれたのが一八九〇年なのだから、ジョセフィーヌの名は付け加えられたものである。ルソーの二人を同時に愛したいという無意識的な表現だろうか。この絵画のぎこちない感じはどこから来るのだろうか。

アンリ・ルソー『過去と現在』

ところで、ルソーは『過去と現在』という不思議な絵画を残している。この絵画は、一八九九年にジョセフィーヌとの結婚を記念して描いたものであるが、年代の詳細は不明である。この絵画では二つの結婚が重ね合わされている。若かりし頃のルソーと一人目の妻であるクレマンスとの結婚、そして現在のルソーと二人目の妻であるジョセフィーヌとの結婚である。「愛する者に別れた二人は、昔の思いに忠実なまま、結ばれる」と説明が付けられている。ルソーは二つの結婚を一枚の絵画の中に並列して並べたのであり、過去を小さく描き、現在を大きく描いた。『過去と現在』を見ると、過去を再演するルソーの姿が容易に浮かびあがる。過去の幸福を再び味わいたいルソーの姿。しかし、本当のところはどうか。

アンリ・ルソーの『過去と現在』
過去と現在 @wikimediaアンリ・ルソーが1890年から1899年頃に描いた絵画。アンリ・ルソーと黒いドレスを着たジョセフィーヌが描かれている。上部に描かれた小さな頭は、若かりし髭面のルソーと亡くなった妻であるクレマンス。「愛する者に別れた二人は、昔の思いに忠実なまま、結ばれる」と説明が付けられる。二人とも若く描かれている。画面左右に走る植物はちょうど二人の性器の高さで、左側の樹木に絡まりついている。

改竄されたパレットの中身

少し戻って、『風景の中の自画像』に描かれたパレットに着目しよう。パレットには一人目の妻である「クレマンス」と二人目の妻である「ジョセフィーヌ」という名前が刻まれていると述べたが、興味深いのはパレットの中身が改竄されていることである。このパレットには、誰かの名前を消し去った痕跡が見てとれ、その上にジョセフィーヌと書き足されているのが分かる。ここに想起を紐解く鍵がある。消されたのは、マリー・ビッシュという人物だというのが定説である。クレマンスが一八八八年に亡くなった後、ルソーはマリーに情熱的に恋をしていたのだが、その恋実らず、一八九一年にマリーはフリュマンス・ビッシュと結婚してしまう。

アンリ・ルソーの『風景の中の自画像』のパレット
パレット周辺の拡大 @wikimediaアンリ・ルソーが1890年に描いた絵画のパレット付近を拡大したもの。一人目の妻である《Clémence》という名前、さらに二人目の妻である《Josephine》という名前が記されているのだが、明らかに左側の文字は書き直されている。マリー・ビッシュという名前が隠されているというのが定説。

マリーに恋焦がれたルソーは、恋に敗れてしまう。しかしながら、マリーの夫であるフリュマンス・ビッシュは一八九二年に亡くなる。未亡人となった不幸なマリーを慰めるべく、ルソーは『フリュマンス・ビッシュの肖像』を描いてあげたという。夫の死後も、マリーとルソーは交際が続けていた。さて、ルソーが自画像を描いたのは一八九〇年であったから、マリーとの恋の最中であったと考えられる。

もし、ルソーがパレットをわざわざ改竄したのならば、彼は本当にジョセフィーヌを愛していたのだろうか、と疑問に思う。なぜ、わざわざ書き換える必要があったのか。なぜ、もっと分かりにくく改竄しなかったのか。そして、この絵画が性的象徴に満ちているのはなぜなのか。この改竄にルソーの隠された本音があるのだろう。自画像とはほとんど想起のようなもので、丁寧に読み解いてゆけば隠された画家の本音を引き出せるのかもしれない。アンリ・ルソーに関してはまだまだ無知であるから、また機会があったら詳しく検討してみたい。

アンリ・ルソーの『フリュマンス・ビッシュの肖像』
フリュマンス・ビッシュの肖像 @wikimediaアンリ・ルソーが1893年に描いた絵画。亡くなったマリーの夫を描いたもの。本当が額縁含めて作品である。額縁には植物が書き込まれている。これは、ルソーの優しさから描かれた絵画なのだろうか。

(∗1) アンリ・ルソーと記憶の改竄

この記事を書く一ヶ月前ほど前にハーモ美術館を訪れ、その展示にアンリ・ルソーの絵画があり感銘を受け、だからこの記事を書いている、と自分では思っていたのだが、後々考えるとそうではないことに気が付いた。多分、フロイトの『遮蔽想起について』のなかにアンリのアンケート調査が記されているからであり、アンリ違いであったのだ。早速、記憶の改竄を発見して少し驚いている。